供養

あるエッセイを読み終えて、ふと思ったことがあったので書き留めておく。
私は根本的に性行為が嫌いなのかと言われたら、ノーだ。それが、好きな人との特別な行為だからという可愛らしい理由では無いにしろ、「楽しさ」は知っている。だから、ノーだ。
ただ時折無性に嫌いになることはある。性的な匂いが受け入れられなくなって、女であることが煩わしくなって、自分が抱かれる側であることが嫌になる事はある。けれど、それが慢性的なのかといえば違う。

相手がふといつもと違う表情を見せたり、人肌の温もりがこんなにも優しいんだと感じたり、ただ触れ合うことがこんなにも純粋に楽しいことなのだという事を私は確かに知っている。
だから、決してマイナスな印象を持っているだけでは無い。

こうしてネット上という一生漂い続ける媒体に書き散らした今思うことがある。
ここに書き散らしたという事は、相手がこれを読んでももういいという覚悟を持ったという事なのだし。
だから私は今だから言える事を残そうと思う。

あの日貴方はあまりにも自然に私に手を伸ばしたけれど、貴方がもしも性的な欲求があったにせよ、私に好意を抱いていたにせよ、必要だったのは何かしらの一言だったのです。
ストレートに「抱きたい」でもいいし、「特別な感情がある」でもいいし、ただ一言私に伝えて、私のリアクションを待つ事を貴方が怠った事が全てなのです。
私は貴方に敬意を持っていたし、実兄の親友であるという事実を知っているし、私は貴方にとても可愛がってもらっていた過去もきちんとあるのだから、貴方のどんな言葉にも私は向き合ったのにと思うのです。
貴方にそういった欲求が湧き起こった事実を、私はきちんと受け止めることだけは出来たしそれによって私が貴方を嫌う事はなかったのに、どうしてたった一言を逃したのでしょう。
私が示したであろう答えはどちらにせよ「よくないものだよ」という一言でしかないのだけれど、あんな風に積み重ねてきた過去までも壊してしまうような結果にはしなかったはず。
一瞬の選択だったにせよ、貴方は私に意思を示すことが必要だったのです。
私は人間の三大欲求を知らないわけではないし、どんな意思が働いていたにせよ貴方に対しては真摯でありたいという気持ちがあの時までは確かにあったのだから。
貴方の目から見て私が「少女」から「女性」に成長しているという事実だけでも提示してくれたら、貴方は自分の奥さんと子供に不義理を働くことも無かったのに。
私はそれを一番悲しく思います。ランドセルを放り投げて兄の部屋に遊びに行くと笑っておかえりと笑ってくれた貴方が、一番守るべき家族に不義理を働いた結果になった事を、何より悲しく思います。
貴方は私を傷つけたけれど、同時に自分も傷つけ、更に貴方を純粋に信じて嫁いだ奥様と生まれてきた子供達をも傷つけたのです。
誰1人幸せにならない結果を迎えてしまった。
もしも貴方があの時たった一言私に示してくれていたならば、起こらなかった事なのです。

私は貴方の前ではいつだってランドセルを放り投げて遊んでもらおうとする子供のようでもありましたから、年齢に見合わず確かに隙だらけだったでしょう。
自分がもう幼少とは違う1人の女である事を自覚していたら何か違ったかもしれません。
けれど、いずれにせよ一方的に手を出した貴方に責任は生じてしまうし、その責任を回避させられるとしたら、止めるべき存在の私しかいなかったのです。

私が貴方を許すとかそういったレベルの話ができるようになるのは明日かもしれないし10年後かもしれないし明確に断言できないことです。
例え私が貴方を許せる日が来たとしても、貴方が沢山の貴方を愛する人たちを傷つけたことは変わらないことが何より悲しいことだと思いませんか。
私がたった一言、こういったことがあったんだよと実兄に漏らせば、貴方は親友までも失います。貴方の選択は何一つ正しく無かった。
私は貴方にいつまでも安心のできる優しい人であって欲しかったのです。
友人の年の離れた妹とすら対等に笑い合ってくれる優しいお兄ちゃんだったのだから。

純粋に湧き起こってしまう性欲を悪とは思いません。
それは何一つ悪くない当たり前の原理であると知っているから。それは生物に与えらている本能であると知っているから。
ただ、知性を与えられた生き物であるのならば、意思の疎通は必要不可欠だったのです。

感情に蓋をしたら幼い私が泣いていました。

この所色々あったので書き留めておく。
整体を受けたら体がストレスで痛覚を失っていると指摘されたり、体の力の抜き方をわかってないと言われたり、人に心が開けていないと言われたり、交感神経と副交感神経のツボを押されて涙が止まらなくなったりした。
右後頭部に至ってはテニスボールのようなしこりが出来ていて、「どんな生活してたらこんなに凝るの!?くも膜下になりたいの!?」とお叱りを受けた。ほぐされた後に眼精疲労の痛みが復活してしまい、体を目覚めさせてしまったことを後悔した。「指で視神経を支えてあげているうちは痛くないと思うけどマッサージをやめて手を離すと痛くなると思う」と言われのだがまさしくそれで、マッサージ中は眼精疲労の痛みが消え、手が部位から離れた瞬間から鈍痛に襲われた。痛覚を目覚めさせるって恐ろしい。
そういえばいつからかどんなに目を酷使しても眼精疲労特有の痛みに襲われなくなっていた。なのですっかり治ったくらいのつもりでいたら真逆。麻痺しててわかってなかったと。でも、久々に体感した眼の痛みはあまりにも強烈で眠れなかったし、痛覚って無い方が便利なんじゃ無いかなと思ったりもした。
近いうちにきちんとマッサージを受け始めようと思う。

15年前に蓋をして放置していた感情と向き合わなければならない時が来た。
「人間嫌い、極度の人間不信、怒り」と。
鮮度が落ちないうちに大声で怒鳴ったり泣きわめいたり暴れたりしてでも発散させておけばよかったものの、私は蓋をした。
結果、15年間私は自分を騙すことに全力になっただけだった。
私は人が好きです、私は人の優しさが嬉しいです、人に期待することをやめたく無いです、なんて言葉を口にして自分はもう人間が好きで信じられて大丈夫って騙しこんだ。
騙しこんだところで自分の内側には当時叫べずに感情に蓋をすることを選んだ私が睨んでいるのだからもうどうしようもない。
わかりました、私の負けです。私は15年経って人嫌いや人間不信や人への嫌悪を拗らせました。15年前の私が酷く冷たい目で私を見て睨んでいる。私はまず、15年前の自分と仲直りして、極度の人間不信をゆっくりと紐とかないといけない。先が果てしなく長い。

そんなこんなが連日あって少々疲れているところにメンタルの不安定が重なって涙は出るし、素直な気持ちを口にできないし、冷たい物言いになるしで何もかも最悪でした。
相手も相手なりの環境下で必死に生きていると言うのに感情をぶつけ過ぎたなと大きく反省。
しかし私もいよいよ限界だったしタイミングとしては今日しかなかったのだけれどもっと上手くできなかったかなとずっとずっと反省している。感情が爆竹のようにバチバチと散ってしまうことがある。大きな音をさせながらあちこちにバチバチと飛んでしまう。これでも歳を重ねてからはだいぶ減ったのだけれど。
バチバチの理由はいつだって言いたいことを適切な時に上手く吐き出せないでいたりすること。
とにかく、感情は適切な処理のタイミングがある。それを逃すと厄介になることだけは確かだ。

2017年1月、すごい勢いでいろんな出会いがあったり、予定が入ったり、過去に蓋をしてきた問題が揃いも揃って目の前に現れたり忙しい。今年は私の行動パターンを変える年なのだろう。やらなきゃね。

生きることは遠く、しかし心臓は揺れる。

はてなブログを2つ使っているのだけれど、あちらでは重いことをあまり書かないことにしているのでこちらに書き残そうと思う。
実はこの所結構安定していた。自分のための投資をしてみたり、物欲があったり、それなりに人と笑い合えたりが出来ていた。出来ていたので焦燥感と希死念慮がほんの少し距離を置いてくれていた。しかし、昨日から私の頭の真ん中から退かずにいる。しっかりと胡座をかいて座り込んで離れない。柔軟性のない頑固親父が帰宅したかのようにどっかりと座り込んでいる。
「あ、きた」と思った。この感覚、私少しだけ距離を置けていたのに帰ってきちゃったんだ。次はいつまで続いて、次はいつほんの少し私に呼吸をさせてくれるのだろう。

正直、こうなると文字が書き残せなくなる。何を書いても何処か遠く、ぼんやりとしてしまう。確かな私の言葉として残せない。何処かの誰かが書いているような、漠然とした離人感。私を私として文章の中で構築できない。それがとても寂しい。私は書きながら私に会いに行っている。私の内側にいる座り込んで耳を塞いでしまった私に会いに行っているのだけれど、離人感が出始めると私に会えなくなる。この離人感は内側の私からの面会の拒絶なのかもしれない。

死にたいかと問われたら、違うんだと思う。言葉通りに受け止めるとしたならそれは違うのだと思う。疲れてしまったのかと問われたら、概ねそうだと言える。何に?と問われたら、生きること、になる。けれど、死にたいのではない。どちらかというと、生きている感覚がもう既にしないのだ。私は生きているのだけれど、確かに心臓は動いているのだけれど、では心臓が動いていたらそれは生きていると定義されてもいいものなのか?生物学的な話じゃなくて、文化的な観点から考えるに、それはもう死と同等のような気がする。それでも心臓は忙しなく揺れ動く。一刻、一刻。何故この心臓はこれだけ痛めつけられても確かに動いてしまうのだろう。心臓は図太い。

7年間の性的逸脱の答え

これを書くことで何が変わるかと言ったら、何も変わらない。ただ、過去にこんなことがありましたって晒すだけなのかもしれない。それでも、誰か1人でも力づくの行為は人の価値観を壊しきってしまうのだと知ってくれたならいいと思うし、この文章がウェブの世界を漂い続けることで同じ経験をした人が素直に泣けたり、自分を責めることをやめたりしてくれたなら、もうそれだけで価値があると思いたい。

 

私の恋愛に対する憧れや、結婚に対する憧れ。恋愛の楽しさや美しさ。人を好きになる喜び。結婚という人生を共に歩む人を探し出す意味。様々なものを一瞬で打ち砕いたのが、小学生の頃から兄のように慕っていた兄の親友からのレイプだった。

 

ちょうどその頃兄の結婚式の余興にサプライズをしようとしていて歌を歌うことになっていた。その練習場所が相手の家で、兄の他の友人や私の次兄もよく集まっていた。結婚式も無事に終わり、さあこれで少しゆっくり出来るねという時だった。「あの歌を録音したいから歌いにきてくれないか?」と言われた。小学生の時から遊んでもらっているもう1人の兄のような人。大好きな人。その当時その相手は新婚さんで、お腹の中には既に子供がいた。その事実も嬉しくて録音はお祝いの気持ちで歌うよ、と家に向かった。

歌の録音をそれなりに済ませて、休憩をしようとなった時だったと思う。正直ここからの記憶は断片的で殆ど覚えていない。最初はいきなりキスをされたんだったと思う。この人、何しているんだろう?と現実だと思えなくて呆然とした。その後思い出せるのは相手の体重と、大声を出したいけれど出してしまったらこの人は兄の親友だから大変なことになってしまうという葛藤と、大事にしたら兄とこの人の人間関係に関わるから耐えなきゃという気持ちと、「奥さんいるんだよ、子供もいるんだよ」と言い続けたことと、脱がされていく服と、そこからはただぼんやりと眺めるしかなかった天井。

私は何をされたのか。私は何をしているのか。結婚ってなんだ。子供ってなんだ。性欲ってなんだ。恋愛ってなんだ。愛し合うってなんだ。汚いな。この体、汚いな。気持ち悪い。この体全部気持ち悪い。性欲ってこんなにも汚いんだ。終わってからどうやって家に帰ったか、まるで覚えていない。勿論兄には言わなかった。言えるわけがなかった。どれだけ長い間培われた友人関係であるかこの目で見てきているから。

 

その日から、私の中で性行為というものがとても乱雑な扱いとなった。男性から雄に変わる瞬間を見ればこいつもそうか、と笑うようになったし、汚れた体にはこれくらいの性行為がちょうどいいんだと思うようになった。なので、本来愛し合う人たちが喜びの中でする行為なんだよと言われた時には正直驚いた。いや、だって私はそんな綺麗なもの知らないよって。

勿論好きな人が居たこともある。恋愛もした。けれど、いざ性行為となるとどうしても自分は汚れきっているような気がしてただ申し訳なかった。あなたは純粋に私を愛情で抱こうとしているのですか?それとも雄である故に衝動を止められないのですか?と頭の中がいっぱいになった。愛情で抱かれるということがいまいちわからなかった。雌として求められる顔はわかるけれど、愛情で抱き合って何を求めるのか私は取り逃がしてしまった。

 

性行為と聞いた時に、私の頭の中では今でも雄と雌の戯れが頭に浮かぶ。本能に身を任せて本能に溺れていく見苦しい大人が頭に浮かぶ。純粋な愛情の行為だと素直に思えないのだ。事実として、人間は愛情がなくても性行為を難なく出来るということを先に知ってしまっているから。その時の欲望で相手を傷つけようが満足したいと思う生き物だから。その場の勢いやその時の温度で人は簡単に体を貪り合う動物に成り果てると知っているから。なんの希望もない。

 

同じ地元に住んでいるので、相手が家族連れで歩いている姿を見かける。正直馬鹿馬鹿しくて鼻で笑ってしまう。子供の姿を見ても、奥さんの姿を見ても、ただ可哀想だと思う。あなた達が居たところで、あなたの愛するお父さん、旦那さんは抵抗できない1人の女性を犯しましたよって。社会的には立派な旦那で父親だとしても、性欲に走った雄ですよって。勿論顔を合わせれば挨拶をしてきた。何処かであの日私が行ったから悪かったんだと思い込んでいたから。しかし、嫌悪してはいけない、憎んではいけないと心に蓋をすることをやめたら随分と楽になれるのだと7年かかって知った。もっと早くに嫌悪して憎んで許さなければ私は遠回りをしていなかったかもしれない。

 

もしも性的被害を受けた経験がある人がこれを読んで自分を責めたままなのだとしたら、あなたは何一つ悪くないと言いたい。そしてあなたは何一つ汚されていないと伝えたい。私も遠回りをしてこの答えにたどり着くまでに7年かかってしまったし、その間にたくさん自分を傷つけたけれど、やはり何度考え直しても力でねじ伏せて言葉を失わせた側が悪いし、汚いとしたら襲うという思考を持っている側なのだ。あなたがどんな被害を受けていようと、あなたの美しさは奪われていないしあなたの存在価値は輝いたままだと伝えたい。あなたの価値はそんな一方的な醜い出来事で消え去るような魅力じゃない。受けた傷はきっと膨大な時間をかけて癒していくしかないし、愛されるという意味を見つけるまでにはとても困難な道が待っているけれど、それはあなたが悪いからじゃない。完全にある日突然事故に巻き込まれたくらい理不尽なこと。

きっと男女関係なく、雄に成り果てた人間から傷を受けた人、雌に成り果てた人間から傷を受けた人が等しくいると思う。そんな環境にいる、若しくはいた人達が少しでも自分の価値は何一つ汚されていないと思ってくれたらいいなと、同じ経験をした私は思う。

 

7年かけてたどり着いた答えは、「私はこれから歪みのない愛情行為を学べばいい」ただそれだけです。きっと険しい道のりで、時に激しく性嫌悪に襲われて、時に激しく女であることを憎んで、時に激しく性行為が虚しくて笑いたくなるのだろうけれど、それでも「こんな幸せを本来人は愛する人と感じるのですね」と知りたいから、諦めたくないなと思うのです。それが幾つになろうと掴み取りたいものなのです。

君は長年の友達

昨年の夏からずっと慢性的な吐き気と戦っている。食事を摂ろうとすると体が抵抗するような吐き気。もうこの体にエネルギーは必要無いよと体から言われているみたいに食べることが苦しい。食べたら食べたで吐きはしないけれど胃もたれを起こす。本当は吐こうと思えば吐けるくらいには気持ち悪いのだけれど、これをやったら摂食障害一直線なことはわかっているので必死に吐かないように胃薬に助けを求める。ここにきてもう一つ病を増やすのはさすがに御免なのだ。食べたくないなと食べないでいたら月の物が止まるくらいには体重が減ってしまって、家族の間では入院させる話まで出てしまったのでとにかく吐き気と格闘しながら食事をする。正直、苦痛以外の何物でもない。

 

この慢性的な吐き気は、小学生の時に友達のように私の体を襲った。起きるきっかけになったのは祖母の病気で、一気に変化した環境に子供の心はついていけなかったらしい。学校に行けなくなり、当時既に不登校だった兄がいたので、私だけは不登校を避けさせようとしたのか転校させられそうになった。一定期間、いとこの家に預けられたりもした。その間、ずっとずっと側にいたのは慢性的な吐き気だった。今思えば完全に自律神経が狂ってしまっていたんだと思う。体温も35度以下なんてよくあったし。いじめられていた頃は不思議と吐き気は無かった。次に強烈に襲ってきた吐き気は、パニック障害の発作の時だった。15歳で涙の再会。もう二度と会わなくて良かった友人と会ったみたいでまたお前かと思った。そして18から治療を受けるようになって、何やかんや緊張すると襲ってくるのが吐き気となっていた。それもだいぶ落ち着いてきていた近年だったのだけれど、友達はまたぴったりと寄り添うように戻ってきてしまった。しかも今回はなかなかの長期滞在で、じわじわと私の食欲を奪っている。

 

食べないと体重は戻らない。けれど食べようとすれば喉の奥がギュッと閉まって吐き気に襲われる。吐き気の波を見ながら、いけそうな時に食事を摂る。炭水化物を摂ることが1番難しくて、お米をどうやって摂取しようかが今の悩み。体重が増やせた時にやたらと食欲が戻ったのだけれど、体重が増えたことによって月の物が戻ってきたため、ホルモンバランスで食べられただけだったらしい。月の物が終わった今、吐き気がただいましている。帰ってこなくて良かったんだよ。毎日目が覚めて「食事」と思うと正直辛い。けれどこんな無様な生き方をしている私へ周りは「せめて食べて体重を戻そう」としか言わないでくれている優しさがわかるから、逃げられないなと思う。ゆっくりゆっくり、食事との格闘を続けていこうと思う。

「あなたは薄情だよね」

通信制の高校に通っていた時代の話だ。私の隣にくっついて離れなかった可愛い子がいた。基本的にその子とスクーリングを受けていたけれど、私は他にも友人を作っていたので他の友人とも話した。スクーリングは月に2回だったし。それが可愛いあの子は気に入らなかった。

「こんな私が嫌なら一緒にいなくていい」

と泣いて走って帰って行った姿を見たことがある。それを一緒に見ていた体育教師が、「追いかけてあげないのか?」と聞いてきて、私は素直に答えた。「あそこまで感情的になった人間に何を言っても仕方ないし、言い逃げなのだからどうしようもない」と。そこで初めて私はその言葉に出会う。

「君は、薄情な人間だね」

家に帰って辞書を引いた。愛が無いだとか、思いやりに欠けると書かれていた。じゃあ、あそこでドラマのように追いかけて何が起きる?上手くいくか?いや、そんな簡単じゃ無い。何故なら、私には私の人間関係があり、それは誰にも咎められるものでは無いはずだからだ。だから私は全てを投げ捨てて可愛いあの子を追いかけることは出来なかった。求められても応えられない時があるのは確かだし、私への依存が上手くいかないからと私に感情を発露させても私が答えを持っているわけじゃ無い。現実はそういうものだけど、時に人はドラマのように追いかけろと言うから不思議だと思った。後に想像できる感情任せの言葉のやりとりのタイミングが今であるべきかどうかなど、周りは何一つ責任を取ってくれない癖に。

 

2人目もやっぱり私が想いに応えられないと知ってから起こした行動がきっかけだった。私は当時まだ腕を切らないと学校に通えなかった。それを知っていた彼は当て付けに自分の腕を切り始めた。そしてすれ違いざまに笑いながら私に見せつけてきた。この時ばかりは私も怒った。2人きりになった放課後の教室で、自分の体に傷をつけると言う意味がどういうことか考えたのか。私の傷とお前の傷を同列にするなと。本当に死にたいなら切る場所はそこじゃない、と。その時もまた言われた。

「貴女は薄情だね、心配もしてくれないんだ」

当て付けに切り始めたことがわかりきっているその傷を心配できる程私は優しくないし、残った傷と共存していく覚悟もなく切っているのだとしたらどうしようもないし、血を見せたら優しくしてくれるなんて甘く見るなよと思う。向き合って怒ってもらえただけ幸せだと思えよ、世間は目も当ててくれないぞ。私はそれを知っている。誰も助けてくれない。

 

最後は確か当時付き合っていた恋人の甥っ子に発達障がいの疑いが見えた時だった。私は自分の生きづらさから経験した社会と現実を伝え、発達障がいを疑うならいち早く専門の病院に行くしかないと話した。その時もやはり言葉は違えど言われた。

「冷たい言い方をするよね」

私のどの言葉が冷たかったのかまるでわからなくて、呆然とした記憶がある。でももし、本当にあの子が発達障がいだとしたら今後一番辛い思いをして行くのは家族以上に本人なのに。定型の私ですら生きづらくてたまらなくてはみ出して生きて、はみ出した結果の苦しみがこれだけ大きい。ならばそこに発達障がいが加わったなら本人にどれだけの負担になるかと考えたら、とてもじゃないけれど私は単純に「心配しなくて大丈夫だよ」とは言えなかった。

 

私は大切な時ほど言い方を間違えてしまうらしい。大切だと思えば思うほど。わかって欲しいと願えば願うほどに私の言葉は冷たくなるようだ。受け止めるものは受け止めてきた。受け止められるだけ受け止めてきた結果に出る言葉だとしてもやはり冷たいのだと言う。だって現実はドラマや映画と違うんだもん。熱量だけで乗り越えられるほど簡単に出来ていないんだもん。熱量だけで乗り越えられると信じていた頃もあったけれど、ことごとく駄目だったから。一発逆転なんて未来は何処にもない。チャンスなんて滅多に落ちてない。ただ、此処にある現実と向き合っていくしか、私は方法を知らない。他に方法があるならば教えて欲しい。本当は私だってこんなに痛くて苦しくて辛いものは見ていたくない。けれど、まずはそれを受け入れないと何もスタートしないんだ。現実と向き合う時、夢を語ったらいいのだろうか。けれど夢は夢だよ。ならば、今確かであることを話した方がいいと思ってしまう。信頼している人ならば尚更。きっと夢も大切なのだろうけれど、確証のないことを言うことが怖いのは、未来が未知すぎるからだ。思いもよらない事が起きることが現実だと学んできたから。

 

あの子を追いかけていたら何か変わっていたかな。彼の傷に寄り添っていたら何か変わっていたかな、心配ないよ、大丈夫。と笑っていたら違ったかな。あの日々を私は何度も頭の中で繰り返す。大切だからこそ追いかけられない時があった。そんなやり方でしか気を引けない相手を悔しく思うから言えない言葉があった。大切な子で、自分の見てきた世界の冷たさを知っているからこそ要素があるとしたら冷静にしか話せない事があった。けれどこれも言い訳なのかもしれない。上手く出来ない私の言い訳。

 

言葉に疲れるのはこういう時だ。それでも私はまだ相手を信じて私なりの言葉を送る。貴方ならわかってくれると信じて。

アウトプットという現実逃避

酷く落ち着かないので、文字に縋る。文字を並べ替えて文章にしている間だけは私は落ち着けるから。大丈夫。手の震えも頭の重みも手汗も何もかもを忘れられる。大丈夫。こんなことは普段のブログには書けないのでこちらに吐き散らす。

病名を告げられてから、一つ一つの自分の行動を観察するようになった。たったこれだけのことで、私はこんなにもエネルギーを使うんだ…とか。人が楽しんで笑っている世界がこんなにも遠く映画を見ている感覚でしかないんだな、とか。今までわかってはいたけど、やっぱり薬の効き目は感じづらいよな、だとか。人の話を聞いて受け止めるだけで精一杯で、視点が泳いでしまって落ち着きがなくなっているな、だとか。1日に2つの用件を入れると2つ目の用件の時にはボロボロになって体が震え出してしまうんだな、だとか。

なかなか酷いなと思う。一つ一つの自分の体の答えにショックを受けてしまう。わかってはいたし、今までもこうだったけれど、この一つ一つと私は生きていかなければならないんだね?とまた再確認してしまう。好きな話をして好きなことをしているはずなのに体が震えて、呼吸が浅くなって、視点が定まらなくなる。ぼんやりと頭が重くなってしまう。悔しくてたまらない。使い物にならないこの体が大嫌いだ。私はまだこの体をとても愛しいとは思えない。

 

大切な人が私に言った事がある。「死ぬ時に隣にいて欲しいんだよ」と。悲しいことに今の私と同じ夢なのだ。私の今の一番の夢物語は、安楽死が認められた世界で、老いてみすぼらしくなる前に大切な人と1日を丁寧に過ごして、有難うをきちんと伝えておきたい。そしてそのまま永遠に眠りたい。私が眠りにつく時に隣にいなくてもいいけれど、最後の1日を共に過ごしてくれないか、と思う。けれどこれは夢物語で日本で安楽死制度が導入される日なんて来るのだろうかって思うから、現実的に生きる道を模索するしかない。だから、眠っている時に見る夢のような意味の夢に近い。遠い遠い夢。けれど、本音では私はもう自分の体と付き合っていくことに心底疲れているから、こんな夢を見てしまう。自分自身に拍手を送れるくらいには頑張ったと言えるから。けれど万が一世界が変化して、私のような人間でも呼吸がしやすい社会が出来たなら、私は自分の安楽死よりも、大切な人の死を看取りたい。1人にされても大丈夫よって笑顔で看取れる自信ができるから。

 

ちょっと出かけただけなのに。ちょっと人とお茶をしただけなのに。この体はこんなにも頭痛が加速して、震え出し、呼吸も浅くなる。社会は待ってくれないのに、私の体はまだこんなにも動かない世界にいる。道が見えない。私が私を殺すばかりで、居場所が見えない。何処に歩んだらいいのか私は迷子だ。