大好きな叔父

叔父が緊急入院をしたのは2月上旬だった。
呼吸困難でサチュレーションが酷いことになっていた。
それでも自力で運転をして行った。
私の父に連絡までくれた。


ALSだと下されたのが3月11日。
球麻痺型。ALSの中でも進行速度の早い嫌なやつだ。
叔父はまず呂律が回らなくなった。
どんどん呂律が回らなくなっていたことは親族もわかっていた。
本人はマスクのせいだといつも言っていたけど。
ここでALSなんじゃない?って言う人は一人もいなかった。
そんな難病に罹っていると誰が思うだろう。


叔父と私達は病院の売店前でひっそりと逢瀬を重ねた。患者も外来患者も一緒くたになれる空間が売店で、売店の外には小さなテーブルと椅子があった。
私の父は叔父の話を全然聞き取れなくて、私が通訳のようになって病院に行ってたのだけれど、遂に私も聞き取れない言葉が出てきた。
その時叔父はこう言った。
朱ちゃん、がんばってよ〜!」
ごめんね、ごめんね、と笑って手を握ると、手の神経が動かなくなっていき筋力がどんどん落ちてしまうこの病気の人の手だと思えないくらい力強く手を握り返してくれた。
そしてとてもいい笑顔で、本当にいい笑顔で、
「弱ったねぇ、こんな病気になっちゃって」
と口にした。
でも本人はまだ自立した生活も、外泊許可も諦めておらず、花見がしたいと言っていた。


その傍らで兄弟3人(叔父は父方の叔父で4人兄弟)は叔父の部屋の要るものと要らないものを区別して処分を始めていた。叔父の容態はいつ呼吸困難が起きるか分からないというのが医師の見解で、アパートの3階に居を構えている叔父に一人暮らしは無理だと親族誰もが思っていた。
しかし、叔父にしたらどこよりも落ち着く帰りたい場所。まだ、もう一人暮らしは出来ないんだよとは言い出せなかった。


軽度の肺炎を起こした時にはとてもがっかりしていた。計画していたことが全部パァだ、と。
治療にも疲れたとごちた。
本来だったら外出許可が出る頃だったので尚更だったかもしれない。
私たち親族もその日を心待ちにしていた。
少しの時間でもいいからまたみんなで集まりたい。
そう思っていたし、願っていた。


3月29日、介護認定を受けるために父が立ち会った。
帰ってきた父が焼酎を飲みながら嬉しそうに、
「あいつの体はまだ動くんだなぁ」
と口にしていたことをよく覚えている。
歩けずとも車椅子なら出てこられるんじゃないかと。


3月30日父の兄弟のグループLINEに、
「さよなら」と一文が届いた。
最初に発見したのは父。
送られてから30分が経過していた。
病院に電話で事情を聞くと朝から呼吸困難に陥っていたらしく、医師は二度人工呼吸器を打診したが本人が拒否をしたため、酸素を送り続け脳で炭化中毒を起こさせ意識を失わせるという。これが一番苦しまないだろう、と。


「今意識はあるんですか」
「あります。しかしもって1時間です」


父は即兄弟に連絡を入れて病院に向かった。
勿論私も同乗して向かった。
この前笑顔で握手したばかりだよ。
あんないい顔で笑ってたじゃん。
先ず、兄弟である父と三番目の弟が病室へ行ったので、駆けつけた私の母や三番目の弟の奥さんは病院のロビーで待った。コロナはこういう時に人を分断する。
誰も来てくれるな、と願った。
今日はこのまま帰ろうと父達が戻ってくるのを待っていた。
けれど無常にも私達を尋ねてきたのは看護師で、今回は特例ということで…と面会を許可された。
許可されてしまったのだ。
エスカレーターで上がり、病棟のロビーでお待ちくださいと言われた私達。どれほど待っただろうか。
足音がしたな、と思い顔を上げるとそこには子供のように泣きじゃくる兄弟がいた。
「早く行ってやってくれ」
それだけ呟いて、父は机に顔を伏せて泣き続けた。


病室に入るとシューッシューッという酸素の音がしていて、叔父は上下に肩を揺らして懸命に息をしていた。
各々が一斉に声をかけた。
私がかけた言葉は、「よく頑張ったねぇ」だったと思う。
つい先日握ったばかりの手を握った。もう握り返してはくれない。ただ、体温がそこにあった。
背中に汗をいっぱいかいて、まだ心臓が動いている。
この人はなんて強いひとなのだろうと思った。


病室に入れるのは3人まで。但しこういう事態なので何人来てもらってもいいと言っていただけた。
仕事が終わって到着する姪っ子もいた。
皆それぞれ、別れ際はまた来るねだった。
心臓はきっともっても一日だと聞かされていながら。
その日付き添い人になると言ったのは父だった。
叔父からしたら兄である。それがいいと思った。


3月31日
朝6時、突然痙攣を起こし心拍が一気に下がり、父に見守られる中、叔父は生涯を閉じた。




叔父は甥っ子姪っ子みんなを可愛がる人だった。
悪いことをすれば親のように怒り、心配になれば泣く人だった。
私は特に心配をかけていたようで、私の兄貴によくそれを話していたというのを知ったのは通夜の夜。
文面化したが、私はまだ叔父の死を理解出来ていない。
叔父は花見をしたいとLINEに書いていた。
正直、できると思っていた。叶えてあげたかった。
その桜が叔父の葬儀中から蕾を大きくし、今ちらちらと咲き始めている。
こんなに胸の苦しい桜の開花は人生で初めてだ。


叔父の借りていたアパートの片付けをしなければならないので、まだやることは山積みだ。
感傷に浸っている余裕が無い。
あれこれが片付いた時に、どすんとくるのかもしれない。