読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

春だからね、とみんな言い聞かせるけどどこか違うな

昨日辺りから何かがおかしいと薄々感じてはいたのだけれど、今日窓の外をぼんやりと見つめていてハッと気付いた。
完全な無力感と、絶望感と、焦燥感と、希死念慮
今日、波のように一気に私を飲み込んでいる。
外はとても穏やかな晴れだ。とても暖かい。
「春だね、嬉しいね」なんて言えそうなくらい平和な世界が広がっているのに、私はこの景色を見ると涙が溢れそうになる。

ふと、なんでこの歳まで生き延びてしまったかな?と考えていた。
年々、私をこの世界に繋ぎとめておく鎖が減っていることには気付いてはいたのだけれど、いよいよわからなくなってしまった。
今までは何だかんだと周りの人間のことを考えられていたのだけれど、その余力が尽きかけている。
取り敢えず生きていればいいよなんて年齢でもなくなっているし。個人的に年齢の問題はとても大きい。
発達障害の35歳限界説というのが私には他人事に思えない。
私は定型発達だと今の所言われているけれど、慢性疾患で非常に生きづらいという点は類似している。
努力を繰り返してもどんどんと虚しくなってきてしまった。病との付き合いが長くなればなるほどもう十分なんだよって気持ちが大きくなる。
現実は恐ろしいほどに冷静だから、容赦なく社会的な私の立場を突きつけてくる。
他者のサポートがあってようやく立てているような人間にはこの先の必要性がわからない。
生きているだけでいいんだよなんてそんな簡単なことじゃない。詭弁だ。
生きるためにかかるコストを私は今自分の力で何も出来ない。社会は生きるためお金がかかる。そのお金すらも生み出せない。
年齢は年々増えていく。社会的にどんどんと隅に追いやられる。

この病と一生を添い遂げる自信がない。そもそも病が私を積極的に殺しにかかってくる。
年々パワーの回復方法がわからなくなっていく。前はもっと単純にもう少し、もう少しと思えたはずなんだけどな。
せめて綺麗な原型のうちに終わりたいと願うのは我儘だろうか。
もう自傷も大量服薬も疲れた。やる気にもなれない。
もう少しの先に何がある?それが何をもたらす?
もう疲れちゃったよ。それだけ。

あなたが無駄だと言っても私はこれを誇りに思う

私は今働いていない。働けるだけのエネルギーがまだ体に戻っていない。
そしてPTSDの関係で過覚醒やら過敏やらで睡眠障害が酷いので日常生活も安定していない。
精神状態も不安定で薬が効きづらい疾患なので、どうにもこうにもというのが現状である。
しかしそうしていては社会との繋がりは簡単に絶たれてしまうので私がこれだけはとやっていることが、地域のイベントスタッフと震災関連のイベントスタッフだ。
この二つをなぜ始めたかと言えば学生時代の講師が関わっていて、友人のように親しくしていたらいつの間にか手伝いに来いという展開になって気づいたら毎年協力するようになったというとても変なきっかけなのだけれど。

私にとってこの二つはリハビリだ。
私にはエネルギーが無い。そして認知の歪みが大いにある。そして人間不信は医者のお墨付き、何ならテストでばっちり1番指摘された部分でもある。
イベントスタッフというのは一つの目的をある程度多くの人数と共有して話し合って作り上げていく行為なのでとても刺激になる。
エネルギーは毎回イベント終了後に緊張状態が一気にとけて(過剰な覚醒もしているのだと思うけど)何かしら体に不調をきたす。これはもう致し方ない。
認知の歪みに関しては色んな価値観を持つ人と関わるようになって随分矯正してもらった節があるし、自分よりヤバイなという人にも出会ったりした。
人間不信に関してはまだまだリハビリの序の口でしかないと言った具合なのだけれど、それなりに信頼関係を生んでいないとイベントの骨組みなぞ立てられないのでそこそこは効いているのだと思う。
そして何よりイベントから人脈は広がるし、色んな人に出会えるし、人との繋がりが断たれることはない。
なので、ある程度しんどくてもリハビリとしてこれだけはやっている。やると決めている。

このリハビリは年に二回で、地域のイベントスタッフは1月頃から打ち合わせが始まり、4月開催まで話を詰めて下準備をする。
助成金申請の書類をどう纏めるかなども話し合ったりする。
冬は最も不調なので戦いでもある。それでも社会との繋がりを絶ったら終わりなのでしがみつく。有難いことに私の疾患に理解のあるメンバーなので無理はしないでねと言ってくれるが、私自身が手を抜きたくない性分なので仕方ない。
貴女は仕事をしていたら確実にワーカーホリックになるタイプだと言われたりしたこともある。否定できないのが怖い。
震災のイベントスタッフは9月に打ち合わせが入り、10月に本格的に動く。イベント当日一週間前辺りは毎日のように会場にこもる。
前々日あたりから23時を過ぎる打ち合わせを繰り返す。
全国各地から集まってくれる照明のプロや音響のプロの話を聞くのはとても楽しいし有難いことだと思う。

何故いきなりこんなことを書いたのかと言えば、「貴女は治す努力を一切していない。逃げ癖がついているだけ。変わる努力もしてない。変化があるまで会わなくていい」と言ってくれた友人の言葉を思い出したからだ。
私は変わりたくて、治したくて、社会に戻りたくて、今出来る精一杯のこの二つにしがみついている。
友人の言葉では、お金を稼げなければ意味がないらしい。「1円でも稼ぐ努力をしろ」と実際に言われた。そういう考えかたがあるのも事実だ。他の現実の健常者から見たら私はただの甘えた腐った人間でしかないのかもしれない。
私が日々戦っている希死念慮と絶望感と慢性的な疲労感と異常な過敏性と過覚醒は目には見えない。
私が夜にどんな過ごし方をしているかなんて伝わらない。過敏性によるストレスで年間の中でも記憶が飛んでる時期が未だにあることすら、伝わらない。
わかって欲しいなんて言わないよ。それは価値観の相違ってものもあるからね。
けどね、私の努力はこれだよって提示したものを否定はしないで欲しかったよっていう私の気持ちの弔い。
あの日言えなかった私の気持ちがやっと纏められそうなので纏めてみた。素直に言えば怒りだってある。相当強い怒りと苦しみと悲しみがある。けれど、伝えたところでもうそれはただの喧嘩でしかない。

最近は周りでも妊娠した友人が増えてきて、結婚したら妊娠だねって当たり前のように話が進んでしまう。
それを伝えてきた友人も友人がちょうど臨月の頃だった。
けれど私は自分が生きることに必死だ。自分を大切にすることすらまだ学びとれていない人間に何が出来よう、と思う。
そして、そんなにも私に「普通」を求められても、もう頑張れない。正直、もう十分頑張ったのでそろそろ身の丈にあった生活を許して欲しい。
出来る範囲ならば頑張れるから、出来る範囲はなるべく広げていくから、今は許して、としか言えない。
私は求められてきたものを十分やりました。十分過ぎるくらい応えてきたら壊れたので、私を大切にさせてください。
私に、自分の可愛がり方を学ぶ時間をください。自分の喜びがなんであるかを知る時間をください。自分の好きなものがなんであるか思い出す時間をください。自分が安らげる場所がなんであるか気付く時間をください。
私をこれ以上殺さないでください。
私をもう、私の手で殺そうとさせないでください。

私の命を繋いで来た人達

新興宗教に飲み込まれていった母と父の話を書こう書こうと思うが未だ書けないので、思いっきり方向転換をしようと思う。
私には兄が2人いる。その2人について書こう。

私は末っ子長女として生まれ育った。周りにそれを言うと「さぞ可愛がられたでしょう?」と言われるのだが、流血レベルの喧嘩をし続けていたことしか記憶にない。
兄弟喧嘩に性別は関係ない。強いものが勝つ。知恵のあるものが勝つ。なので私はいつも負けた。負けず嫌いはその頃完成された。

長兄とは8つ歳が離れているので喧嘩はあまりしなかった。その代わり共に遊んだ記憶もあまりない。それでも、長兄が高校生になり我が家が溜まり場になった頃、ランドセルを背負っているような年頃の私が部屋に遊びにいくことを口では叱りながら出て行かせない優しさのある兄ではあった。
次兄とは6つ離れているが比較的喧嘩をした。次兄は私を泣かせる天才だった。私の負けず嫌いのスイッチを入れるのが上手く、ゲームを共にしてはぶっちぎって勝って私の前で笑うような人だった。流血レベルの喧嘩をしたのも次兄だが、共によく遊んだのも次兄だ。

我が家は狂っているが、変なバランスが取れているのはこの2人のおかげといってもいい。
親2人は新興宗教にずぶりとはまって生きている。とても幸せそうだ。
それを、「まあそれも一つの生き方だし」と否定せずに育つことを教えてくれたのは長兄で、気に入らなければ拒んでもいいのだという姿勢を教えてくれたのは次兄だ。
私達は歪な環境下で育ってきたことがきっかけなのか、それともそれだけは親の育て方が良かったのか、兄弟仲だけは異常にいい。
一緒に飲みにいくこともあればボーリングにも行く。遠くのラーメン屋までドライブがてら行くこともあれば3人で夜に誰かの部屋に集まって語らうこともある。
それぞれの誕生日はケーキを食べられる日という認識として誰かしらが張り切ってケーキを買ってくる。祝う気は更々無い。ただ、それぞれケーキが食べたいだけなのだ。
そんなこんなだからこそ、私が生き延びている部分も大きい。
精神疾患を患ったもういい加減いい歳の働けない妹に対して、彼らは何も言わない。調子が悪そうな時はそっとしておいてくれる。
その代わり、必ず兄弟で出かける時は声をかけてくれる距離感で私を捨てずに見守ってくれている。
そして、精神疾患持ちの妹ではなく、ただの妹として私に接してくれる。
両親は別の世界に旅立ったので、もう仕方がないが、私には兄2人がちゃんといる。そう思って生きている。

先日、いとこの家で幼少期のビデオを観た。
まだ私が4歳くらいで、当時ストレスから生じていた吃音が健在だった。
どの場面にもどちらかの兄がいた。そして、とても丁寧に年の離れた妹である私といとこの相手をしていた。
私の記憶の中には、喧嘩をしてこいつ本当に嫌いだと思った思い出しかないのに、そこには沢山優しく遊んでもらっている姿があった。
「可愛がられてなんて育ってませんよ」なんて大嘘をついて生きていたことを心からは恥じた。

私がいじめられ続けた時も「お前は悪くない」「いざとなったら俺が出て行く」と言って私が止めるほど怒ったのは長兄で、私がいよいよ辛いと涙を流した時に黙って話を聞いてくれたのは次兄だった。
我が家の財政状況が悪化してどうしようもない時に私の免許代を全額払ってくれたのは長兄で、私が何もかも出来なくなった時に唐突に東京までの日帰りドライブを敢行したのは次兄だった。
私は親を諦めた。けれど、この家でまだ呼吸をできるのは兄弟が力強く寄り添ってくれているからだ。
私は2人に何を返せているのだろうと時折考える。末っ子の私はただ甘えているばかりで何が出来ているのだろう。
だからこそ思う。この2人の前ではいつだって笑っていたい。いくら辛くとも笑ってくだらない冗談を言い合える妹であろうと。

私はきっと幾つになっても兄2人に勝てない。
頭も上がらない。私をこの家で生かし続けてくれている2人には一生感謝し続ける。
この家を出る日が来たとしてもだ。
そして一生妹として誇りに思う。私にはとてもとても素敵な兄が2人もいるということを。
私は貴方達の妹としてこの家に生まれたことだけは幸せに思います。
2人にこんなことを直接は言えないから、ここに書き残す。

生きがいを失うと人はどうなるか

人は先にある生きがいを失うとどうなるか?
この文面を目にして、あー、と笑った。
今なら書き残せる気がするので個人的な記録としてここを使う。

私はまず、異常に冷静になった。恐ろしいまでに冷静になった。
周囲への対処を一番気にしていたかもしれない。
そして何より何が起きているのかの把握に冷静に向き合った。ここで逃げたら終わる、何が終わるのかわからないけれどひたすらそう思っていた。
私には布一枚も身体に身につけずに、割れたガラスの散らばった床に横たわって何度も寝返りを打つような行為だった。
しかしその痛みすらもその時には気付かなかった。
そして不思議なことに私はとても笑っていた。誰の前でもその話を笑って平気に出来た。これは完全に防衛本能が働いていたから。
その為に一部の友人が離れていった。笑って話すことじゃないと怒っていた。ならばあの時私は泣けば良かったのか?泣いて何になる?
自分の力ではどうにもならないことが起きた時にどうすべきか、冷静に現状を把握すること。
これはイジメられ続けた経験が役立った。
笑い続けたのは、誰にも迷惑をかけたくなかったからだ。既に迷惑をかけざるをえない人達がいたから。これ以上延焼させたくなかった。
今頑張れば何かが変わるかもしれない、そんな期待もあったのだろう。

結果的に言うと、私は記憶を失った。そこから数ヶ月の記憶が殆どない。所々、点々と思い出せるくらいで、何をして生きていたのかよくわからない。
そして、食事をやめた。食べられないのと、食べる意味がわからないのと二種類あった。体重は笑えるくらいみるみる落ちた。
親に「もう殺してくれ」と懇願した。何度も何度も頭を下げて許してくれ、もう無理だと懇願した。
歩行が難しかったことを思い出す。バランスが取れないのだ。フラフラと気付くと斜めに歩いてしまう。
それでも周囲から変な気を使われることだけは嫌で約束は何一つ断らなかった気がする。その時はとにかくギアを3段階くらい上げて挑んだ。
そして何よりも大きいのは「期待」をやめた。
それは人に対するものもそうだし、未来へのものもそうだ。そもそも、期待をするからこうなる、と思った。本当は意味のない期待をしているほうが楽だ。けれどそれはもう私の中では恐怖以外の何物でもない。
「普通」というレールからその時に降りた。もう、いい。いつ終わってもいいな、今冷静にそう思う。自棄とかじゃなく、とても冷静に思う。私は私を上手く乗りこなせなかった。結果、私は私の不幸を招いた。それだけの事なのだ。だから不幸と言うのも馬鹿らしいのかもしれない。当然の結果に近い。

半年が経って私は当たり前のように笑う。
そして、当たり前のように食べる。体重は減った半分まで増やした。無理やり食べた時期もある。家族に入院の相談をされていることを知った時から必死になった。人に迷惑をかけたくない、それだけだった。もう沢山かけてしまったから。あと半分がなかなか戻らない。
当たり前のように友人と会う。
当たり前のように言葉を書き残す。
けれど、大きな何かを失った。確実に私の中の大きな何かが欠如した。それが何かはまだ言語化できない。けれど、本来あるべきものなのだと思う。
体の中にすごく大きな穴が空いている。とても強い風が吹いている。けれどそれを誰に見せることも出来ない。自業自得だから。
「身の丈に合わないとはこういうことなんだと知った」、とあの日の日記に書いてあった。
私は体重以外まだ何も取り戻せずにいる。

物事には誰しも限度がある。

アカウントを引っ越した。
色んな人にお手数をおかけして申し訳ないのだが、もうあのアカウントを使うことすら嫌になってしまった。
お願いだから放っておいてほしいと言っても伝わらない人種に対してできることは自衛しかない。

私は急激に距離を詰められることが苦手だ。
だから何度も何度も説明をした。
会話でも伝えたはずだ。
何のために朝まで話したのだろう。
それでも対応が何一つ変わらずに、自分の中にある正義をひたすら盲信して押し付けられた。
違うと言われてしまうかも知れないけれど、私にはそうとしか感じられなかった。

たくさんの努力を重ねて今を掴み取ったのだろう。それを理解はできなくても想像することはできる。
とても凄いことだと思う。素直に尊敬もする。
そのやり方で今までやってきたのだろう。
けれど、そのやり方を暴力としか思えない人間がいることを理解しろとは言わないから受け止めてほしい。
誰しもが手を伸ばされたら掴めると思っているのだとしたら、残念だけれど住む世界が違う。
それに掴む手を選ぶ権利だってある。

私との対話を求めていることはわかっていた。
私もそれを拒否しなかった。けれど最初にお願いをしたはずだ。見守ってくれと。
私が何を一番許していないかといえば、話したいことがあるならば第三者を巻き込んでライングループを作らないで欲しかったという点だ。
私は逃げも隠れもしない。一対一できちんと言葉を投げかけてくれればその時出来る限りの対応をした。
私は第三者に介入されることがとても苦手だ。
それで散々な目にあってきたし、第三者が介入することでその人の主観が入り意図が変化してしまうことを散々学んできたからだ。
私がどんなに声をかけても逃げ続けていたならまだわかる。しかし今まで私は一度も逃げなかったはずだ。
他者を巻き込んでまでコミュニケーションを図ろうとするのはマナー違反だ。
私達は子供じゃない。それこそあなたが何度も繰り返してきた言葉で言う大人だ。

一度発した言葉は二度と消せないということを知っていてほしい。
そして発言は必ず意図せずとも人から人を介して広まる。
インターネットの世界は発言が残る。何を発していたか調べることも可能だ。
「人の好意を受け取る努力をしないことが甘え」なのだとしたら、「人の好意を上手く受け取れない人間の心理を想像する努力をしないことも甘え」だと返そう。

私は極度の人間不信で人間嫌いを拗らせた人間だが、対話を拒否しているわけではない。
話していて楽しいことも山ほどある。
そうじゃなければウェブの世界にいない。
私に出来ないことをしている人を尊敬するし、温かい言葉を貰えば嬉しい。
くだらないやりとりだって楽しい。
大切にしたいと思う関係性だってある。
私はそれを大切にしながら、楽しい時間を過ごしていたいだけだ。

読めるかどうかは知らないが書き残すことにしたのは私が提示できる最後の誠意だ。
巻き込んでしまった人に対する事情説明の意味も込めている。
巻き込んでしまった方々とお手数をかけてしまうことになった方々への謝罪を込めて。

人の口に戸は立てられない

外面だけはいい生き方をしてきた。
その外面は弾かれて弾かれて弾かれて覚えた。
その代わり常にそこに壁が一枚ある。
笑っているけれど、笑っていない。
好きはある。それなりにある。人に対してもそれはまだちゃんとある。一応。
これだけ弾かれて弾かれて弾かれてボロクソになっても、まだ好きは残っている。
それはとても小さなサークルでしかないかもしれないけれど。
サークルでもない最早ポツポツとした局地的なものかもしれない。
しかし、その好きが何を意味しているかあまりわかっていない。何が好きなんだろう?
でも、確かな好きはある。本能的な部分がまだ残っているのだと思う。

周りがとても眩しい。
直視しようにも眩しすぎてできない。
それをその人たちは暗いという。
それが暗いのだとしたら、私の立っている場所はどうなってしまうのだろう。
ここは湿度が高く、前後左右何も見えない。
音も聞こえてこない。
もしかしたら自分で目隠しを付けたのかもしれない。
耳栓もつけたのかもしれない。
もう見たくも聞きたくもないと。
とにかく眩しい。
だから、一歩、また一歩と下がる。
私の目ではその光は捉えられない。
まだ、この目は耐えられるほど力を持っていない。
でもきっとみんな自分の立ち位置をそう思っているんだろう。
だから、暗い自慢になりそうな話は片っ端から避けていきたい。
それすらももう疲れた。

ねぇそれって例えばどれくらい痛いのって歌ったのはノベンバ。
痛さで言えばもうよくわからない。
痛覚を自覚するエネルギーを失った。枯渇している。
ただ、ぼんやりと思う。ここはどこだろう。
ここで何をしているんだろう。
ここまできて、何があったというのだろう。

昨日開いた扉が良かったかどうかはまだわかりかねている。
それでも開いてしまったものは開いてしまったのだから仕方ない。どうしようもない。
ただ、1人だったら耐えられなかっただろう。
隣にいた彼女にありがとう。

あの日夢見た景色はとても美しかったよ

私の生殖機能は人よりも乏しい。
十代の時に月のものがおかしくなって婦人科を尋ねたら呆気なくそれは宣告された。
「君は子供が欲しかったら治療が必要だね」
十代なりにその言葉の重みは理解できた。
その時に永遠を誓い合う結婚というものに対する希望を半分失った。


「治療をすればできるんでしょう?」
「どうしてちゃんと婦人科に通わないの?」
「子供は可愛いよ、諦めないで」
どれもこれも言われた。大抵お腹が膨らんできた妊婦の友人で、何一つそこに悪気はない。
わかっているから何も言えなかった。
子供は可愛い、それはとても素晴らしいことであんなにも無垢で価値観の形成も他者から吸収することで覚えていく生き物はある意味怖くて、けれど生命というものはとても神秘的で。
考えたことがないわけじゃない。
寧ろ、セックスをして当たり前に出来る体よりも考えたと思う。
考えに考えた末に残ったものは両親への罪悪感と、女性としての未熟さの情けなさだった。
そこにプラスして私にあるのは精神的な病で、どうにもこうにもそれは揺るがなくて。
精神科を尋ねた最初に言われた言葉に対する自分の気持ちをまだ覚えている。

「安心して。子供は産めるよ」
(先生、私の体は治療をしないと子供ができないので大丈夫なんです)

周りは当たり前に治療を提示する。
そういった人達は誰もその意味を深く考えていないのだろう。
「治療」という本来必要のない筈の段階を踏まないと子を授かれないという意味を。
それがどれだけ女性として生まれたことの意味をことごとく削り取っていくのかを。
別に女性として生まれたからには子を授かれとは思っていない。それは個々の自由だ。
けれど、それが当たり前に出来る体ではないのだと言われることはやはり後ろめたい。
月のものは当たり前のようにくるけれど、そこに排卵という機能が伴っていない出血を繰り返す虚しさは伝わるものではないのだ。
毎月すり減る。心の何処かが着実に削れていく。


今でこそあえて子無しを選択する夫婦も増えてきたし、不妊治療も珍しくなくなった。
それでもやはり、どうしても、圧倒的に当たり前に授かれる人間に対しての壁は大きい。
そして、「子供なんていなくても大丈夫」という言葉を簡単に口にする男性を信用できない。
何故なら男性は本能的に種を残していこうとする生き物だから。
何より、「子供が欲しい」と一度は言われて別れを経験しているから。
そりゃあ、そうだよね、と頷くことしかできない。
そして不妊治療はお金がかかる。お金が無ければ何も始まらない。
私の体の未熟さで本来かからない筈のお金を掛けさせる申し訳なさも大きい。
健康な体というのは、尊いのだ。とても。とても。


まだ自分の体の未熟さを知らなかった頃に夢を見ていた。
好きな人との間に出来る子供はとても愛しくてそれはなんて尊いことなのだろうと。
あの日夢見た景色はとても美しかったよ。