手紙のようなもの

「不甲斐ない」
心の底から今思うことはそれだ。
私生活も、友人関係も、私は今とことん不甲斐ない。

今、ひとつの命がゆらゆらと揺れている。
「消えたい」と。
それを知りながら、聞きながら、
何がベストなのかわからずにいる。

私自身、投薬治療を受けている身で
言わば薬が人間にしてくれているようなものなので人間もどきだ。
薬が無ければ睡眠も取れない。
ああ、なんて無様なんだろうなと己を思う。
10年以上、私はもう人間ではなく人間もどきだなのだ。

だからこそ、同じ悩みを持つ人々と出会えたことも事実で、今消えようかとしているその火はまさに出会えた命だ。
「消えないで」
そう言うのは簡単だ。
そして、それは無責任だと私は思う。
それを願ったところで、私はその人の苦しみを何も出来ないからだ。
出来るとしたら、話を聞くことくらいだろう。
希死念慮にまとわりつかれた人間の苦しみに、私は簡単に生きてなんて言いたくない。
これは勿論、自死を推奨している訳では無い。

ねえ、まだ約束のもつ鍋屋さん行ってないよ。
私がこんなことになって約束守れてないから、もうちょっとまってて。
もつ鍋屋さん、行こう。

障害者夫婦

夫も先日遂に障害者になった。
等級は2級。病名はうつ病。私と同じである。
しかし夫はゲームなど長時間何かをすることはまだ苦ではないようだ。

1番苦しいのが朝で、この世の終わりのような顔をしている。
シャワーを浴びに行く足取りも重く、何をしても、ふぅ。と息をつかねばならない。
私にとっても地獄の時間だ。
本当なら夫を休ませたい。
けれども夫は仕事に行きたい。
励ますしかないのだ。お互い頑張ろうと毎朝呪文のように繰り返す。

障害者同士の結婚、果たしてこれは正しいのかどうなのかわからなくなる時が多々ある。
けれど、失敗ではない。とは言える。
夫が仕事に無事に行けた日はとても安堵するし、苦しいのに偉いよって何度も何度も泣きそうになる。
帰ってきてご飯を食べられてる姿を見るとほっとする。
当たり前の毎日は、我が家にとって当たり前ではないのだ。
毎日が奇跡で、毎日が生き残ってやるという気持ちだけで生きている人間の痕跡なのだ。

なんで離婚しないの?と聞かれる。
正直離婚を考えたことが無いと言ったら大嘘になる。
けれど、この人が諦めていないのに私が諦める訳にいかないと思うのだ。
離婚をしたらきっとすごく楽だろう。
自分の体のこともやっとやっとなのに他人の世話から無事に放たれるのだから。
けれど、それ以上にやはり夫婦というものは人それぞれであるように、今はまだ離れようとは思わない。

これからどうなるかなんてまだまるでわからない。
とにかく今私達は一日一日を生きている。
一日一日を生きた先に何があるのか。
出来ればそれが光であって欲しいと願うばかりだ。

期待してない

無性にイライラすることがある。
今久々にその時期で、何にでもすぐちょっとイラついてしまう。
月のものの前とかでもないのに。そもそも薬のせいで生理止まってるから。
綺麗な言葉で終わらせようとするのはいつだって好きじゃない。
綺麗な別れなんて所詮幻想だ。

というわけで生理が止まって3ヵ月近くになるんですけど、理由はわかっていて。
睡眠薬として服薬してるヒルナミンのせいなんだそうです。
なんか、体が母乳を出してる状態と勘違いしてしまうんだそうで。
勘違いしないでよーって感じなんですけど仕方ないですね。
婦人科に行ったら、3ヶ月生理来なかったらまた来てくださいと言われ、3ヶ月まであと半月なんだから薬出してくれてもいいじゃんと思いました。
月のものが止まってるって女じゃないみたいな、複雑な気持ちになるよ。

病状はいいか悪いかと言われたらあまり良くなく、無理やり動いている。
モンスターぶち込んで動いたりしている日々もあったりする。
とりあえず最低限ご飯が作れたら良しとしているのだけれど最近はいよいよ厳しい日も増えてきていて、梅雨も開けたのにどうしたの?って自分に問うている。
寝起き一発目の言葉が「疲れた」だったりするから本当に良くないのだと思う。
でも病院で何言ったってなんにも変わらない。
なんにも期待してない。
自分に興味が無い。

今電車に乗りながらこれを打っているのだけれど、前は薬もなく乗れたのに最近また薬がないと乗れなくなってきてしまって。
なんというか色々悪化してるなって思うけど何とか生きてるので許してください。

君にもそんな夜があったらいいのに

寝る前の薬が変わってから、まあ見事に眠れない。
眠れないと言うと少し違う。夜まるで効かず、朝いきなり効くという変化球っぷり。
今日も22時にはちゃんと薬を飲んで寝たのに起きたのは0時半。嘘でしょ。嘘でしょ!?
ってなりました。

誕生日になかなかショックなことが起きてからどうにもこうにもどうしたらいいのかなぁとメンタルを潰されている。
数年ぶりの潰され方をしている。
それでも犬達は呑気にわちゃわちゃと遊ぶ。
だからペットシートを黙って代える。
日常。
日常の中に不穏が潜んでいる。
モヤモヤと黒いモヤのように部屋の中に散らばっている。

書きたい。
様々なことをもう書き出して楽になりたい。
けれど文字にならない。言語化に繋がらない。
ねえ君にも同じような夜があったらいいのに。

死ぬということ

20代後半になった時、やっと葬儀よりも結婚式に出た回数が上回った。
私の祖母は私が12歳の時に亡くなった。それを皮切りに数年に1度ずつ親族が亡くなって行った。
私の母の生家は、祖母と祖父が離婚をしたことによって私にとっては繋がりがないような気がして居心地が悪かった。
それを祖父の姉に話した時に、家系図を書いて、
「確かにあんたの言う通りに法律かなんかではあんたは繋がりがないかもしれないけどね、血の繋がりは馬鹿にしちゃいけないんだよ。2度とそんなことを言っちゃダメだ」
と私をしかり飛ばしてくれたおばさんは祖母が亡くなった翌年に亡くなった。

今でも忘れられないのは父方のおばさんで、父方の祖母の妹の葬儀だ。孤独死だった。
しかも夏の盛りに数日見つからなかったので、そこで初めて人が放つ腐臭を嗅いだ。
落ちない染みも初めて見た。
父方の親族が集まってああだこうだと色々と話し合いながら葬儀をした。
おばさんは深夜に具合が悪くなり119をしたはいいが、嘔吐と便を同時にしていて服が汚れていることが気になったのだろう。着替えようと階段を降りようとして落ち、頭を打ったまま亡くなったようだ。
葬儀をしている数日間のうち、一日だけおばさんの家に泊まった。おばさんのベッドで寝た。
父のいとこがおばさんの部屋で寝ている私を幽霊だと思って心臓が止まりそうになったと言われた時は笑ってしまった。
私は何故か、何も怖くなかった。床に染み付いたおばさんの体液も、凹んでしまった畳も。

親類ではないが、町内に私と会うといつも「頑張ろうね」と声をかけてくる精神疾患を持ったおばさんがいた。
いろんな人に際限なく話しかけるので町内の人からは疎まれていた。
事実私にも姑の話をひたすら繰り返し、あなただけが救いなのよと言われて若干怖かったので逃げたりしたこともあった。
それでも精力的に働く人で、病気ではあることは確かなのだが生の力に溢れていた。
そんな人が冬の早朝に溺死を選んで自死した。
突然のことだった。
とても浅い川なのだが、自死出来てしまった。
その時私は何故か(やっと楽になったのだな)(頑張ろうねと言いながら1人だけ楽になりやがって)と2つの感想を持った。

私にはもうどちらの祖父母もいない。
皆、病の末に闘い切って息を引き取った。
介護と看病をしてきた私は胃瘻になるくらいなら死を選びたい。勿論年齢にもよる。
それなりに生きて、食事が経口摂取出来なくなるくらいなら、点滴を打って弱って最後はゆっくり死にたい。
そういった死の選択を考えるきっかけになった人達が沢山いる。

何故今夜はこんな事を書いているのか自分でもよくわからない。
ただ、今夜は死の匂いが少し強いようだ。
両親はもうきちんと遺言状を書いてくれている。有難いことだ。
私も書かねばならない。
もしも私が死んだなら、普通の花で飾って欲しい。その中に葬儀でよくある極楽鳥花だけは入れて欲しい。
そして目一杯食べ、目一杯飲み、「あいつはここが馬鹿だったよね」と笑って欲しい。
それか、もう何もせずにただ燃やして遺灰は実家の土にでも混ぜて欲しい。
こんな願いを書いたが、私はどこに行っても年下で末っ子なので願いを聞いてくれる人がいるかが問題だ。

何れにせよいつか死ぬ。それは紛れもない事実だ。それまでにどれだけ戦い抜けるか。
死の間際、微笑めたらはなまるだ。

1年が経った

今でも忘れない。
ふとTwitterを開いたら、貴女が「死にたい」と呟いていて、それはいつもの事だからああ今日も調子が悪いんだなって眺めて終えたんだ。
そしたら次のツイートに「亡くなりました」とあって、私には何が何だかわからなかったんだよ。

私の周りにはメンタルが弱い人が多くいるけど、幸い一人も死ぬ事なく今までやってこれていた。
貴女が自死出来てしまった頃、私は結婚する日が近づいていて、病気をしながらも結婚生活をしている貴女に相談しようと思っていたことが山ほどあったんだ。

家事はどれくらいの頻度で出来てる?
具合が悪い時って夫婦でどんな決め事してる?
私も貴女と同じ病気に切り替わったかもしれないんだけど大丈夫かな?

何にも聞けなくなっちゃった。
貴女とは音楽が好きという共通点もあって、
共通の知り合いもいてお互いびっくりしたね。
そのうち何処かで何かのライブで会えるかもなんて思ってたんだよ。
ねえ、エルレが10年ぶりに復活したんだよ。
私、ちゃんと目に焼き付けてきたよ。

確かなことは今でもちょくちょく貴女を思い出していて、今貴女が生きていたら聞きたいことがやっぱり沢山あるということ。
そして、もっともっと話しておけばよかったということ。
共通のフォロワーから元気そう?なんて聞いてないで自分から連絡すればよかったということ。

貴女のことを考えると今でも私は涙腺が緩むからここまでにしておくね。
私は今日も生きたよ。

家庭のお話

両親共働き、祖母在宅の家庭で育った。
私達3人兄妹の躾親は祖母だった。
両親は共に家庭より仕事にウェイトを置いており、週末には飲み会に出かけた。

私の記憶にある頃には当たり前のように母は新興宗教の勉強をしていた。それ以外では仕事熱心な人で職場の人とよく飲んでいた。帰ってきては会社の上司の愚痴をこぼしていた。新興宗教の勉強を一緒にすると褒めてもらえたので褒めてもらいたくて一緒に勉強をした。
父の記憶は正直あまりない。家でビールを飲んでいる姿はわかるのだが、何を話していたかわからない。そもそも、父は家庭であまり話す人ではなかったのかもしれない。
祖母は無口な人だった。そして、愛想のない人だった。叱る時は叩くし、逃げれば追いかけ回される。ちょっと口答えをするだけで叱られた。けれど、理不尽に怒られたことはなかった。私達3人兄妹は年がそれぞれ離れているが、毎日祖母から与えられるお菓子は皆同じ量で同じものだった。年上だからたくさん、という意識がなく、皆平等の人だった。
我が家を出入りする新興宗教の人にも黙って自分の作った煮物を差し出してもてなした。
毎朝野菜を売りにくるおばあちゃんはお茶飲み仲間で朝から昼までお茶を飲んで笑っていた。

そんな祖母がくも膜下出血で倒れた日、我が家は色んなものが崩れた。私が9歳の時だった。
母は救急車が出ようというときに会社からタクシーで間に合い救急車に飛び乗ったまま80日間家に帰ってこなかった。
その日から家事は父が全てを賄った。
長兄はバイトに逃げた。次兄は中学に行かないことを決めた不登校だったのでゲームに逃げた。
学校から家に帰宅したときに家の変化というものを嫌でも痛感した。電気がついていない。おかえりという声がない。いつも黙って座って相撲を見ている大好きな祖母がいない。母は帰ってこない。長兄もバイトで遅い。次兄は部屋に籠っている。父は帰ってきてから慌ただしい。

生活に変化があった直後から自律神経が狂い、吐き気が止まらなくなった。
学校を休みたいと父に願い出たが叶わず、自分で電話をして頬を叩かれたこともあった。
家に置いておくのは不安だからといとこの家に数日預けられたりもした。地獄だった。私は自宅でせめて次兄の隣に居たかった。
知らないうちにいとこと同じ学校に転校する話まで出て居た。それはなんとか免れた。
結局私の不登校は、担任が家に迎えにきたことによって終わった。子供心にそこまでされたらどうしようもないと思ったからだった。

祖母は死の淵を何度もさまよって、何度も手術を繰り返して、病と闘った。
入院した翌年の春、奇跡的に退院した。しかし寝たきり、痰の吸引が必須、体位交換必須、という24時間介護の始まりだった。
母は仕事を辞めた。
その頃から私は学校でいじめを受け始めた。嫌な時期と重なったものだ。
家に帰れば母がいる。しかし24時間痰の吸引と2時間置きの体位交換に満足に寝かせてもらえて居ない母だ。いじめのことは言えなかった。
父も休みになれば積極的に介護をして居た。
まだ介護認定が始まったばかりの頃で、ここまで重度の寝たきりをデイサービスがなかなか受け入れてくれなかった。
母の愚痴は学校から帰った私が聞いた。どんどん無くなっていくお金の話。病院で祖母がどんなに苦しんで居たかという話。頼れるのは貴女だけという話。
私が頑張って母を支えなければ母が壊れてしまうと思った。だから痰の吸引から体位交換からオムツ替えまで何でも手伝った。私も寝床を祖母と共にした。

学校でのいじめは変わらなかった。けれど、私には母と祖母を救わなければいけない使命があるという強い気持ちだけで生きていた気がする。

介護は私が12歳になるまで続き、12歳の冬に祖母は眠りについた。
いじめは激化していた。今でも不思議に思う。なぜ1日も休まず学校に行ったのか。
恐らく、私は自分を大人だと思い込むことにしていた。母と祖母を守らなければと、ただそれだけを思っていた。だから、何にも負けてはいけないと思い込んだのだろう。

母は祖母が眠りについた後半年鬱で寝込んだ。そして新興宗教にのめり込んだ。
私が思春期を迎える頃にはのめり込んだ熱がマックスになり、会話が成り立たなくなった。
その頃、このブログの記事に書いたいじめが始まり私は精神を病んだ。

さて、何故いきなりこんなことを書いたのかというと、「12歳までは無償の愛情を受ける時期」という一文をツイートで読んだからだ。
私は受け損ねた。私が無償の愛情を差し出し続けた。
役に立てば愛してもらえる、役に立てば認めてもらえる、役に立っている間はいじめなど嫌なことが忘れられる、そんな思考に育った。
今現在持病で体が思うように動かない私は見事に自己愛というものが欠如している。自尊心など無いに等しい。
役に立たずして、何を得られよう。日々、そう思っている。