病院マン

いろいろと面倒ごとが起きている。
まあ、それはいい。
今は3つの病院に通わなければならなくて、今まで放置来てきたツケがここできたんだな、と思う。
その3つは一年近く自覚はあったものの放置していたことなので本当に自分が悪い。


最近、なるほどな。と思うことを言われることが多かった。

①あなたは愛情深くて優しいようでいて、他人に甘いだけだし愛情は限定的でしかない。
②あなたは自分に尽く関心がないのである意味人間味がない。

この二つを聞いてほどなぁと笑ってしまった。
人というのはその人その人で相手によって顔を変えるものだと思う。無意識にそうしているのだと思う。
ただ、この二つの指摘はとてもなるほどなぁ、と個人的に思った。
確かに私は優しくないのだ。人間に優しくできるほど人間ができていない。
優しくしたいと思える人にしか優しくできない。
愛情も同じくそうである。
その優しくしたい、愛したいが尽く範囲が狭い。
一度心を開いたらとても長いが、開くまでが酷く複雑で常に話すときには予防線を張っている。
心を許しているようで許していない、を見抜かれて笑ってしまった最近だった。


あと、今更かよという問題として発達障害の傾向がある可能性を指摘された。
その前には双極の気があるとも言われて最早何がなんだかわからねーよ、である。
主治医はADHDの多動を意識しているらしく、もしくはASDの併発とも考えているようだ。
もしそうだとしたら、なるほどね。と思うしかないのが本音だ。
今更わかったところでどうしようもないというか、そのように生きて行くしかないだけだ。
今後生育歴の話も交えつつ、ゆっくり診断を下したいとのこと。
最早、どうにでもなれ。

手紙のようなもの

「不甲斐ない」
心の底から今思うことはそれだ。
私生活も、友人関係も、私は今とことん不甲斐ない。

今、ひとつの命がゆらゆらと揺れている。
「消えたい」と。
それを知りながら、聞きながら、
何がベストなのかわからずにいる。

私自身、投薬治療を受けている身で
言わば薬が人間にしてくれているようなものなので人間もどきだ。
薬が無ければ睡眠も取れない。
ああ、なんて無様なんだろうなと己を思う。
10年以上、私はもう人間ではなく人間もどきだなのだ。

だからこそ、同じ悩みを持つ人々と出会えたことも事実で、今消えようかとしているその火はまさに出会えた命だ。
「消えないで」
そう言うのは簡単だ。
そして、それは無責任だと私は思う。
それを願ったところで、私はその人の苦しみを何も出来ないからだ。
出来るとしたら、話を聞くことくらいだろう。
希死念慮にまとわりつかれた人間の苦しみに、私は簡単に生きてなんて言いたくない。
これは勿論、自死を推奨している訳では無い。

ねえ、まだ約束のもつ鍋屋さん行ってないよ。
私がこんなことになって約束守れてないから、もうちょっとまってて。
もつ鍋屋さん、行こう。

障害者夫婦

夫も先日遂に障害者になった。
等級は2級。病名はうつ病。私と同じである。
しかし夫はゲームなど長時間何かをすることはまだ苦ではないようだ。

1番苦しいのが朝で、この世の終わりのような顔をしている。
シャワーを浴びに行く足取りも重く、何をしても、ふぅ。と息をつかねばならない。
私にとっても地獄の時間だ。
本当なら夫を休ませたい。
けれども夫は仕事に行きたい。
励ますしかないのだ。お互い頑張ろうと毎朝呪文のように繰り返す。

障害者同士の結婚、果たしてこれは正しいのかどうなのかわからなくなる時が多々ある。
けれど、失敗ではない。とは言える。
夫が仕事に無事に行けた日はとても安堵するし、苦しいのに偉いよって何度も何度も泣きそうになる。
帰ってきてご飯を食べられてる姿を見るとほっとする。
当たり前の毎日は、我が家にとって当たり前ではないのだ。
毎日が奇跡で、毎日が生き残ってやるという気持ちだけで生きている人間の痕跡なのだ。

なんで離婚しないの?と聞かれる。
正直離婚を考えたことが無いと言ったら大嘘になる。
けれど、この人が諦めていないのに私が諦める訳にいかないと思うのだ。
離婚をしたらきっとすごく楽だろう。
自分の体のこともやっとやっとなのに他人の世話から無事に放たれるのだから。
けれど、それ以上にやはり夫婦というものは人それぞれであるように、今はまだ離れようとは思わない。

これからどうなるかなんてまだまるでわからない。
とにかく今私達は一日一日を生きている。
一日一日を生きた先に何があるのか。
出来ればそれが光であって欲しいと願うばかりだ。

期待してない

無性にイライラすることがある。
今久々にその時期で、何にでもすぐちょっとイラついてしまう。
月のものの前とかでもないのに。そもそも薬のせいで生理止まってるから。
綺麗な言葉で終わらせようとするのはいつだって好きじゃない。
綺麗な別れなんて所詮幻想だ。

というわけで生理が止まって3ヵ月近くになるんですけど、理由はわかっていて。
睡眠薬として服薬してるヒルナミンのせいなんだそうです。
なんか、体が母乳を出してる状態と勘違いしてしまうんだそうで。
勘違いしないでよーって感じなんですけど仕方ないですね。
婦人科に行ったら、3ヶ月生理来なかったらまた来てくださいと言われ、3ヶ月まであと半月なんだから薬出してくれてもいいじゃんと思いました。
月のものが止まってるって女じゃないみたいな、複雑な気持ちになるよ。

病状はいいか悪いかと言われたらあまり良くなく、無理やり動いている。
モンスターぶち込んで動いたりしている日々もあったりする。
とりあえず最低限ご飯が作れたら良しとしているのだけれど最近はいよいよ厳しい日も増えてきていて、梅雨も開けたのにどうしたの?って自分に問うている。
寝起き一発目の言葉が「疲れた」だったりするから本当に良くないのだと思う。
でも病院で何言ったってなんにも変わらない。
なんにも期待してない。
自分に興味が無い。

今電車に乗りながらこれを打っているのだけれど、前は薬もなく乗れたのに最近また薬がないと乗れなくなってきてしまって。
なんというか色々悪化してるなって思うけど何とか生きてるので許してください。

君にもそんな夜があったらいいのに

寝る前の薬が変わってから、まあ見事に眠れない。
眠れないと言うと少し違う。夜まるで効かず、朝いきなり効くという変化球っぷり。
今日も22時にはちゃんと薬を飲んで寝たのに起きたのは0時半。嘘でしょ。嘘でしょ!?
ってなりました。

誕生日になかなかショックなことが起きてからどうにもこうにもどうしたらいいのかなぁとメンタルを潰されている。
数年ぶりの潰され方をしている。
それでも犬達は呑気にわちゃわちゃと遊ぶ。
だからペットシートを黙って代える。
日常。
日常の中に不穏が潜んでいる。
モヤモヤと黒いモヤのように部屋の中に散らばっている。

書きたい。
様々なことをもう書き出して楽になりたい。
けれど文字にならない。言語化に繋がらない。
ねえ君にも同じような夜があったらいいのに。

死ぬということ

20代後半になった時、やっと葬儀よりも結婚式に出た回数が上回った。
私の祖母は私が12歳の時に亡くなった。それを皮切りに数年に1度ずつ親族が亡くなって行った。
私の母の生家は、祖母と祖父が離婚をしたことによって私にとっては繋がりがないような気がして居心地が悪かった。
それを祖父の姉に話した時に、家系図を書いて、
「確かにあんたの言う通りに法律かなんかではあんたは繋がりがないかもしれないけどね、血の繋がりは馬鹿にしちゃいけないんだよ。2度とそんなことを言っちゃダメだ」
と私をしかり飛ばしてくれたおばさんは祖母が亡くなった翌年に亡くなった。

今でも忘れられないのは父方のおばさんで、父方の祖母の妹の葬儀だ。孤独死だった。
しかも夏の盛りに数日見つからなかったので、そこで初めて人が放つ腐臭を嗅いだ。
落ちない染みも初めて見た。
父方の親族が集まってああだこうだと色々と話し合いながら葬儀をした。
おばさんは深夜に具合が悪くなり119をしたはいいが、嘔吐と便を同時にしていて服が汚れていることが気になったのだろう。着替えようと階段を降りようとして落ち、頭を打ったまま亡くなったようだ。
葬儀をしている数日間のうち、一日だけおばさんの家に泊まった。おばさんのベッドで寝た。
父のいとこがおばさんの部屋で寝ている私を幽霊だと思って心臓が止まりそうになったと言われた時は笑ってしまった。
私は何故か、何も怖くなかった。床に染み付いたおばさんの体液も、凹んでしまった畳も。

親類ではないが、町内に私と会うといつも「頑張ろうね」と声をかけてくる精神疾患を持ったおばさんがいた。
いろんな人に際限なく話しかけるので町内の人からは疎まれていた。
事実私にも姑の話をひたすら繰り返し、あなただけが救いなのよと言われて若干怖かったので逃げたりしたこともあった。
それでも精力的に働く人で、病気ではあることは確かなのだが生の力に溢れていた。
そんな人が冬の早朝に溺死を選んで自死した。
突然のことだった。
とても浅い川なのだが、自死出来てしまった。
その時私は何故か(やっと楽になったのだな)(頑張ろうねと言いながら1人だけ楽になりやがって)と2つの感想を持った。

私にはもうどちらの祖父母もいない。
皆、病の末に闘い切って息を引き取った。
介護と看病をしてきた私は胃瘻になるくらいなら死を選びたい。勿論年齢にもよる。
それなりに生きて、食事が経口摂取出来なくなるくらいなら、点滴を打って弱って最後はゆっくり死にたい。
そういった死の選択を考えるきっかけになった人達が沢山いる。

何故今夜はこんな事を書いているのか自分でもよくわからない。
ただ、今夜は死の匂いが少し強いようだ。
両親はもうきちんと遺言状を書いてくれている。有難いことだ。
私も書かねばならない。
もしも私が死んだなら、普通の花で飾って欲しい。その中に葬儀でよくある極楽鳥花だけは入れて欲しい。
そして目一杯食べ、目一杯飲み、「あいつはここが馬鹿だったよね」と笑って欲しい。
それか、もう何もせずにただ燃やして遺灰は実家の土にでも混ぜて欲しい。
こんな願いを書いたが、私はどこに行っても年下で末っ子なので願いを聞いてくれる人がいるかが問題だ。

何れにせよいつか死ぬ。それは紛れもない事実だ。それまでにどれだけ戦い抜けるか。
死の間際、微笑めたらはなまるだ。

1年が経った

今でも忘れない。
ふとTwitterを開いたら、貴女が「死にたい」と呟いていて、それはいつもの事だからああ今日も調子が悪いんだなって眺めて終えたんだ。
そしたら次のツイートに「亡くなりました」とあって、私には何が何だかわからなかったんだよ。

私の周りにはメンタルが弱い人が多くいるけど、幸い一人も死ぬ事なく今までやってこれていた。
貴女が自死出来てしまった頃、私は結婚する日が近づいていて、病気をしながらも結婚生活をしている貴女に相談しようと思っていたことが山ほどあったんだ。

家事はどれくらいの頻度で出来てる?
具合が悪い時って夫婦でどんな決め事してる?
私も貴女と同じ病気に切り替わったかもしれないんだけど大丈夫かな?

何にも聞けなくなっちゃった。
貴女とは音楽が好きという共通点もあって、
共通の知り合いもいてお互いびっくりしたね。
そのうち何処かで何かのライブで会えるかもなんて思ってたんだよ。
ねえ、エルレが10年ぶりに復活したんだよ。
私、ちゃんと目に焼き付けてきたよ。

確かなことは今でもちょくちょく貴女を思い出していて、今貴女が生きていたら聞きたいことがやっぱり沢山あるということ。
そして、もっともっと話しておけばよかったということ。
共通のフォロワーから元気そう?なんて聞いてないで自分から連絡すればよかったということ。

貴女のことを考えると今でも私は涙腺が緩むからここまでにしておくね。
私は今日も生きたよ。