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整理整頓

新年早々から、自分の性格を覗き見ている私は精神的にMなんじゃなかろうか。と言うわけでもなく、単純に眠れないのだ。だから、書く。今まで何年も繰り返して、数年それすらも出来なかったけれどこうして夜を過ごしてきた。私には文字を残すことしかできない。逆立ちしても絵なんて描けないし、歌も作れない。ただただ、頭に湧き上がる文字を並べて文章にする他ないのだ。

 

冒頭でも触れたように新年になった。正直安堵している。私はかさぶたをわざと爪で引っ掻いて剥ぎ取るような所がある。ずっとずっとかさぶたになっていて、何ならまだ傷は膿んでいて完全に乾いていないのにそこをひたすら突いたり、剥いだりしては、「ああ、まだだ」と血を拭ってきた。2016年は私にとってそんな年だったように思う。

元々、過ぎたことを振り返りすぎる部分がある。振り返って、自分の歩んだ足跡をもう一度踏みつけ直すような。本当にこれしかなかったのか?と自問自答してしまう。結論としてはいつだって宙ぶらりんで、結果的にこれしか選択できなかったとしか言えない。本当は選択肢など無限にあるのに。他の選択肢を掴む環境じゃなかったり、対人関係であれば掴ませてもらえなかったり、逆に自分に掴む自信がなくて掴めなかったり。心底自分は弱いと思う。そしてかさぶたを何度も剥いで、剥いで、傷痕を残す。わざと残そうとする。痕になれば、一生忘れないでしょう?と、自分に刻み込もうとしてしまうのだと思う。心に対する自傷行為だ。そしてもう手がつけられなくなった頃に、「またやらかしちゃったな」って酷くなり過ぎた傷痕を見て笑う。1人で。そこには誰がいてもいけない。人を巻き込んではいけないから。自分の傷の処理に人を巻き込むことは何となく許されない気がして、傷が悪化して膿んでどうにもならなくなっても人には言わない。言えない。

 

そんな自分にもそろそろ飽きてきている。振り返るものは振り返ってきたし、振り返らなくていいものに時間を割き過ぎた面もある。もういい加減、いいんじゃない?って何となく思う。勿論、自分の認知の歪みが何処で起きてしまったかを此処には残していくけれど、別の部分のこと。もうこれは要らないね?と言えるものをきちんと整理したい。私の頭の中の棚を一掃したいのだ。あれもこれも気付けば埃が被っている。そうまでして残しておくこともないだろうと言う記憶たち。まだ並べたばかりだけど、あった所でどうしようもないというものたち。楽になるためには何だって捨ててしまえばいい。本当に必要なものは、再び手元に戻ってくるだろうから。新年というのは少しだけ魔法のようだ。現状は何一つ変わりはしないのだけれど、意識がほんの少ししゃんとする。冷水で顔を洗った後のように意識がスッキリする。

 

終わったものたちよ、さようなら。これから出会うものたちよ、はじめまして。

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