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あの日々を宝物とは言わない

遠い過去にやらかしたあれこれと向き合おうと思う。必死に現在と向き合おうとして、逃げ場も隠れる場所も見つからないままに体当たりで生きていた頃の私の愚かで情けない生き方であり、ここまで命を繋いでくれた日々を少しだけ書こうと思う。

 

初めて自傷行為をしたのは中学2年生の冬だった気がする。気がするというのは、遠い過去すぎて覚えていないから。安全刃じゃない、貝印の剃刀。リストカットと言うよりはアームカット。一本を深々と切ると言うよりは何本も何本も線を入れていくような切り方で、Coccoじゃないけど、切れるだけ切った。何故か手首は切らなかった。時折切ってみたけれど肉のない部分はヒリヒリとする。(あ、ここ痛いんだ)って気付いてあまり切らなかった。正直、目に見えて傷があればよかったのだと思う。言葉にして言えない心の傷の痛みをただひたすらに体で表現していたのだと思う。死にたいとかそういうんじゃなく、「私の痛みはこれなんだ!」と不器用に叫んでいただけだ。

当たり前だけれど専門知識も何もない母は、当時娘が自殺するんじゃないかと思っていたそうだ。だから、ゴミ箱は漁られた。血痕のついたティッシュを探すためだ。剃刀は片っ端から捨てられた。それでも、制服のポケットにしまった剃刀だけは死守して生きていたあの頃。今ではもう随分薄くなったけれど、それでも日焼けをすれば浮き出るし、夏になって腕を出すと白く跡になっている。この癖は専門学校に通う頃も続いていて、切る場所は二の腕や太ももなど広範囲に及ぶようになっていた。単純に切れればいいのだ。切って一瞬の高揚感に任せてやるべきことをやれる勢いに乗れればそれでよかったのだ。私が最後に剃刀を持ったのはまだ今年のお盆が終わりで、完全に治ってはいない。

 

初めて薬を過剰摂取したのは専門学校の2年生の時だった。あの頃の記憶は殆どない。毎月のように迫り来る検定と、模試。その頃の私は持ち物すらも覚えることができなくなっていて、就活セミナーのようなものがある為スーツで行かなければならない日に私服で電車に乗り込み、学友を見てやっと気付いて一度家に帰るねと言ったまま学校に行かなかったりした。行かなかったというよりは行けなかった。駅で何度も寝落ちをし、電車でもまともに降車出来なかったから。そんな日々だったので記憶が殆どないのだ。

相変わらず深夜まともに寝付けず、ふと好奇心が湧いた。その頃には通い出した精神科で出された睡眠薬を1シートずつそれぞれを並べて、プチプチと掌に乗せて一気に飲み込んだ。(全部飲んだら、どうなるんだろうな?)何錠あったんだろうか。そのあと覚えているのは強烈な吐き気と、強烈な目眩のような視界の揺れ。トイレにガタガタしながら駆け込んで指を突っ込んで吐いた。だって別にこんな風になりたいわけじゃなかったから。ほんの好奇心なだけだったから。幸いまだ起きていた兄の部屋に駆け込み、「ごめん、病院だわ」と告げて、その後思い出せるのは点滴の刺された腕と、当直の麻酔科の先生。私は何故だか麻酔科の先生に泣きながら「もう無理なんです、無理なんです」と身の上を話していた。麻酔科の先生にしてみたらいい迷惑である。それから数ヶ月、私は自分で薬の管理をさせてもらえなくなったのは仕方のない話。しかし病院にぶち込まれなかったのはラッキーだったなと今でも思う。

 

最大にやらかしたのは、専門も卒業してから。不眠がピークになり、3日ほど眠れていなかったところに当時の彼氏のお家に泊まりに行っていた。眠剤もすっかり飲み干してしまっていた私は、風邪薬の眠気に頼れば眠れるのでは?とワンシート一気に飲み干した。そして横になったら記憶消失。気付いたら救急車に乗っていた。病院で痙攣どめを打たれて帰宅。我が家に帰ってきて二度目の意識消失。今度は呼吸も止まったらしい。そしてあえなく検査入院。結果は薬物の摂取もあるし、脳波もそれらしいものは出てこないので何とも言えないがストレスが溜まりすぎた結果のてんかんではなかろうかと。そこから私は2年間車の運転を没収された。

 

時系列は違うが、性の逸脱もあった。前回の記事の経験をきっかけに、私は男性に対して壊れた。要は世界は棒と穴が全てなのだろうと思ったのだ。笑う、笑わせる。触る、触らせる。抱く、抱きしめる…繰り返し繰り返し演目のように繰り広げられる虚像の世界。相手が本気になればなるほど私は内心で笑ってしまった。くだらないね、馬鹿馬鹿しいね(本当は悲しいよ)。好きな人ができたこともあったけれど、好きな人とする性的行為は苦しかった。汚れた身体でするものじゃないのに申し訳ないと頭の中が謝罪でたくさんになった。後遺症は今でもある。私は今でもふとした時に強烈な性嫌悪に襲われる。女でなく男でもなく何者でもないものに生まれたかったと強く思う。性的な匂いのしない場所へ行きたいと思う。そして今でも好きな人に抱かれれば頭の中が罪悪感で溢れることがある。性的なことと仲良くなれない。

 

正直、書いてないことが他にも山ほどある。車を廃車にしたこと、大型トラックと衝突事故を起こしたこと、駅のホームで何度吐いたかわからないこと、専門学校に通いながら授業中にロビーでひたすら寝ていたこと、あちこちにピアスホールを開けすぎたこと、3日眠らずに学校に行っては1日眠ったまま起きれなかったこと、解離が酷すぎて記憶がない時期が多いこと…。

今は服用方法をきちんと守って薬を飲んでいる。二週間に一回という通院ペースは変わらないけれど。車の運転は最低限しかしないし、なるべく1人では乗らないようにしている。勿論診断書を提出した上で法的に認められながら。大発作で入院した日から数年経ったけれどあれ以来発作は一度も起こしていない。

生きるために、体を傷つけてきた。ただ生きるために。生きるにはそれ以外の方法が見当たらなかった。教科書も何もないから。あちこちぶつかって、痛いと知って、苦しいと喚いて、ここまで歩いてきた。正直、若さゆえのエネルギーでここまできたのもある。あと私の体のエネルギーがどこまで保たれて、どこまで続いてくれるかはわからない。けれど、それでも、まだ生きてみよう。今度は体当たりじゃなく、頭を使いながら。