あの頃の私

人生で1番しんどかった時に、あまりこの言葉は好きじゃないんですがネットの中のとある界隈にひょっこり出会ってそこに半年ちょいほどいました。3年前くらいかな。
簡単に言えば、生きるのが難しい人達の集まりの中に私もいました。
もちろんそんな人間だらけなのでTLには不穏な言葉がぞろぞろ並んでいて、しかしそれは通常営業なので、
「あー、気圧だねー」
「あー、雨だねー」
みたいに流していることが多かったです。


生きにくい人たちって、往々にして承認欲求が強いので、当時誰かしらが毎日毎時ツイキャスをしていました。
Twitterアカウントがあれば誰でも出来るライブ配信です。
誰かが作業しながら配信していたり、コラボ募集といってラジオにゲストが来るみたいな2人、3人、4人配信となったり。
私も何度かツイキャスをしましたが、何故か私のツイキャスはいつも討論会になって、最長6時間という謎の数字をたたき出したことがあります。
とにかくみんなそんなふうに集まって、あーでもないこうでもないと言い合っていました。


「人の好意を受け取らないのは間違っている」的なことを言われたことを思い出します。
その好意とは優しさであるとかそういったものです。
私はその言葉にブチ切れて、当時使っていたそのアカウントを消すまでしました。
好意って差し出したら受け取ってもらえて当たり前だと思ってるんだなぁと。
謝罪もそうです。謝れば許して貰えると思っているのかな、と。
あくまでそこを決めるのは相手です。
受け取れない時は受け取れません。
受け取れる相手と受け取れない相手ももちろんいます。


今でもその当時繋がっていた人の一部とは繋がっていますが、関係が切れた人もいます。
私が当時とても苦しい時に、厳しい言葉でしたが励まし続けてくれた人がいます。
その人とは疎遠になってしまいましたが、今でもよく思い出します。元気に暮らしてくれていたらいいなぁと思います。
そんな気になるなら連絡すればいいじゃんと思う方もいると思います。けれど、その人はきっと関係性を持ちたい人と繋がり続けていくと思いますし、そこに入らなかった人間であるので気安く連絡をとっては失礼だと思うのです。


その界隈で、私は知人を2人亡くしました。
そして1人を自殺未遂から通報しました。
亡くなった一人の子はよく大学のキャンパスからツイキャスをしていて、とても穏やかな声と共に響いてくる風の音が耳に残っています。
亡くなったもう一人の子はツイキャスでちょっとした議論をしたりだとか、好きな音楽のジャンルが一緒ということで親近感を持っていたりしました。
未遂をしかけた子は今、入院しながら自分としっかり向き合おうと頑張ってます。


メンタル疾患の世界では「悪いもの同士は共にいない方がいい」というのが通説ですが、孤独を埋めるためにやはり集まってしまうものです。
私は今や殆ど関わりもないですし、当時繋がっていて、今繋がっていない人達がどうなったか知りません。
ただ、生きているなら少しでも笑顔の多い日を歩んでいて欲しいなと思います。


めちゃくちゃに病んで毎晩お酒に逃げて人のツイキャスに縋っていた私へ。
今も色々あるけど、頑張ってるよ。これからさらにひと踏ん張りだから頑張るよ。もうお酒には逃げないよ。