死ぬということ

20代後半になった時、やっと葬儀よりも結婚式に出た回数が上回った。
私の祖母は私が12歳の時に亡くなった。それを皮切りに数年に1度ずつ親族が亡くなって行った。
私の母の生家は、祖母と祖父が離婚をしたことによって私にとっては繋がりがないような気がして居心地が悪かった。
それを祖父の姉に話した時に、家系図を書いて、
「確かにあんたの言う通りに法律かなんかではあんたは繋がりがないかもしれないけどね、血の繋がりは馬鹿にしちゃいけないんだよ。2度とそんなことを言っちゃダメだ」
と私をしかり飛ばしてくれたおばさんは祖母が亡くなった翌年に亡くなった。

今でも忘れられないのは父方のおばさんで、父方の祖母の妹の葬儀だ。孤独死だった。
しかも夏の盛りに数日見つからなかったので、そこで初めて人が放つ腐臭を嗅いだ。
落ちない染みも初めて見た。
父方の親族が集まってああだこうだと色々と話し合いながら葬儀をした。
おばさんは深夜に具合が悪くなり119をしたはいいが、嘔吐と便を同時にしていて服が汚れていることが気になったのだろう。着替えようと階段を降りようとして落ち、頭を打ったまま亡くなったようだ。
葬儀をしている数日間のうち、一日だけおばさんの家に泊まった。おばさんのベッドで寝た。
父のいとこがおばさんの部屋で寝ている私を幽霊だと思って心臓が止まりそうになったと言われた時は笑ってしまった。
私は何故か、何も怖くなかった。床に染み付いたおばさんの体液も、凹んでしまった畳も。

親類ではないが、町内に私と会うといつも「頑張ろうね」と声をかけてくる精神疾患を持ったおばさんがいた。
いろんな人に際限なく話しかけるので町内の人からは疎まれていた。
事実私にも姑の話をひたすら繰り返し、あなただけが救いなのよと言われて若干怖かったので逃げたりしたこともあった。
それでも精力的に働く人で、病気ではあることは確かなのだが生の力に溢れていた。
そんな人が冬の早朝に溺死を選んで自死した。
突然のことだった。
とても浅い川なのだが、自死出来てしまった。
その時私は何故か(やっと楽になったのだな)(頑張ろうねと言いながら1人だけ楽になりやがって)と2つの感想を持った。

私にはもうどちらの祖父母もいない。
皆、病の末に闘い切って息を引き取った。
介護と看病をしてきた私は胃瘻になるくらいなら死を選びたい。勿論年齢にもよる。
それなりに生きて、食事が経口摂取出来なくなるくらいなら、点滴を打って弱って最後はゆっくり死にたい。
そういった死の選択を考えるきっかけになった人達が沢山いる。

何故今夜はこんな事を書いているのか自分でもよくわからない。
ただ、今夜は死の匂いが少し強いようだ。
両親はもうきちんと遺言状を書いてくれている。有難いことだ。
私も書かねばならない。
もしも私が死んだなら、普通の花で飾って欲しい。その中に葬儀でよくある極楽鳥花だけは入れて欲しい。
そして目一杯食べ、目一杯飲み、「あいつはここが馬鹿だったよね」と笑って欲しい。
それか、もう何もせずにただ燃やして遺灰は実家の土にでも混ぜて欲しい。
こんな願いを書いたが、私はどこに行っても年下で末っ子なので願いを聞いてくれる人がいるかが問題だ。

何れにせよいつか死ぬ。それは紛れもない事実だ。それまでにどれだけ戦い抜けるか。
死の間際、微笑めたらはなまるだ。