愛されたいのは誰よりも強いのだけれど

わたしは「男女の関係」にあまりいい感情を持っていない。何故なら、簡単に言えば信頼していた関係にレイプされたから。あの日以来とても簡単に人間は理性を超えて動物になると知ってしまったから、私には理想がない。

男は時に簡単だなと思う。求めることに答えたらあっという間に所有した気になる。こちらの感情などお構いなしに満足してしまう。あっという間に。正直、ちょろいなと思う。愛さない関係性のなんと虚しいことか。私はそれを知っているから馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。全ては虚構なのにそんなにも満足しているあなたは何なのかと笑ってしまう。そんな自分を悪魔だと思う。男の前で飾るのは何で簡単なんだろう。だって、求められているものは全て提示されているから。それの何て虚しいことだろう。私は神でも仏でもないただの女なのに求められていることが何て多いのだろうか。

肌が触れ合えば満足する。言葉が通じあえば満足する。その場が楽しければ満足する。色々ある。一つ一つに求められている顔があり、その顔をしてしまえばあっという間に求められた顔になり得るのだから笑ってしまうね。くだらない。何もかもくだらない。馬鹿馬鹿しくて笑えもしないのだけれど私にこの価値観を植え付けた経験はもっとくだらないのだから仕方ない。

だから私は確かな言葉を求めてしまう。その人にしか表せない言葉を。それが我儘だと知っていながら、そこにしか安心を抱けない自分が時に情けない。言葉しか信頼できない自分の何と弱々しいことよ。そしてそれを相手に求めてしまう我儘さに嫌になる。

人間は時に動物のようになれてしまうから。猿のようだ。性欲のはけ口に今までの思い出なども殺して相手を襲うものだから。例え自分の立場がどんなであろうと。弱い立場を逆手にとって満足してしまう生き物だから、性の重なり合いに重要性を見出せない。その性欲を満たしたいだけでしょうと、どうしても私は諦めてしまう。諦めないことなど稀で、好きな人の時は申し訳なくなる。自分が既に汚された人間のようでただただ申し訳なくなる。綺麗な人を抱いて愛してくれよと泣きたくなる。それ程に力任せの勝手な行為は罪だ。

私はまだあの日を言語化出来ない。あまりにも恐ろしくて虚しくて力無い自分が情けないから。そんな私をいつかまるっと抱きしめて君でいいと愛してくれる人を待っているのかもしれない。私はあまりにも弱い。私から愛することを臆してしまった人間だ。あの日に色んなもの失ってまだのうのうと生きている。男はなんてチョロいのだろうと笑いながら。