どこにでも行くから許して

自身の周りの人に問題が起きた時に、自身に関係がないことでも体がこわばってしまう。そして頭の中を「ごめんなさい」が覆い尽くす。

私がいるから何か起きたんじゃないか、私がいるからそれは問題化したんじゃないか、私がいなければ何も問題など起きずに平和なんじゃないか、とずっとずっと考えてしまう。こうして文字にしていると自意識過剰も甚だしくて何を言っているんだろうと思うのだけれど、頭の中が騒がしくて仕方がない。

 

幼少期から自身の人間関係を振り返ってみると、平和だった時間があまりない。平和になったのは、一般路線を降りて通信制の高校に通い出してからで、それまではずっといじめが身近にあった。物心ついた頃には、近所のリーダー格の年上のお姉さんから酷く嫌われていた。それが何故だかわからなかった。私はそのお姉さんが大好きで一緒に遊びたくて仕方がないのに、露骨に輪から追い出されてわざと我が家の前できゃっきゃと遊ばれていたのを家の中から泣きながら見ていた。その近所のお姉さんは一人っ子で、兄がいて何かあると助けてくれる存在というのが羨ましかったようで、要は私に兄がいたからという理由で私は何年も何年もそういった扱いを受けていたようだ。

小学校に入って、女の世界が構築され出した頃、私はやはりまた輪から外れた。女の世界特有の共通認識が私にはあまりわからなかった。何故、思ってもいない言葉に同意し合うのか。何故、クラスに階層のようなものが出来てしまうのか。何故、誰か1人が特別っぽく人を束ねるのか。私の頭の中ではいつも何故が溢れていて、そこを徹底的に突かれた。何度無視をされただろう。何度土下座させられただろう。何度悪口を聞こえるように言われただろう。何度話し合いというしても無駄な場に駆り出されただろう。中学は前に書いたとおりである。

そういった環境に慣れすぎて、自分がいる事によって問題が起きてしまうという自己認識になってしまっている。だから、平和な空間はあまり得意じゃない。いつかこれも壊してしまう気がして居心地が悪い。好きだと言ってくれる人が怖い。いつこの人も私を切り捨てるかわからないと勘ぐってしまう。不穏な空気が怖い。やっと掴んだ束の間の平和があっという間に地獄に変わる気がして。

 

人と人の繋がりは素晴らしいと言うけれど、人は怖い。人は簡単に人を歪ませて人を壊してしまう。「私がいなければ平和なんだよね」って言うけれど、本当はもう人によって傷つくのがお腹いっぱいなだけ。傷つく前に逃げてしまう方が楽だと気付いてしまっただけ。生きていくには人とぶつかり合わなきゃいけない時も勿論あるのだけれど、今までに無駄な事でぶつかり合いすぎてぶつかる心が残っていない。あちこちひび割れてどうしようもなくなっている。何度でも謝るから、どこにでも行くから、お願いだからもう怒らないで。もう何も言わないで。此処から居なくなるから許して。ごめんなさい、ごめんなさい。

 

私の認知の歪みはどこから手をつけていいのかこの歳になってもまだわからないでいる。