続:冬は私を殺そうとする

私が何故あのような立場になってしまったかを書かなければならない。

 

私は可愛くない後輩であった為、元々先輩方からの評判はすこぶる悪かった。たった一つ学年が違うというだけで権力をこれでもかとかざし、理不尽に後輩を詰める姿が大嫌いだった。大抵そういうことをしている先輩は自分のことを棚に上げて自分がやられてきたことを後輩にする事で安定を図っていたのだろう。とにかく私は先輩受けが非常に悪かった。愛想がない、可愛げがない、媚びない。中学生活の女子の上下関係で必要なことを片っ端からやってこなかった自分が悪いとも言える。嫌われて当たり前だ。

 

もう一つは学年に1人はいる先輩に非常に可愛がられながら学年全体を先輩の力を借りつつ統治しようとする権力ある生徒と根本的に性格が合わなかった為、仲が険悪であったという点がある。しかし当時彼女の逆鱗に触れるようなことをしたかと言えば本当にしていなくて今でもわからぬままだ。これか?と思えるものが一つあるのだが、彼女の恋している男子生徒と私はとても仲が良かった。それが気に入らないのか休み時間になるたびに我が教室まで監視に来ていたほど。鈍い私は当時彼女がその男子生徒を好きであることを知らず、何しに来ているんだろう?と思いながらその男子生徒とくだらないやりとりをし続けていたのが悪かったのだろうか。それくらいしか彼女との間に何が起こるとしたらあり得ないのだ。

 

これだけは確かなのだろうなという理由が一つある。女子中学生という世界は幾つかグループがあり、そのグループの中で生きるわけだが、とにかく悪口がすごい。1人の生徒がトイレに行くと居なくなればその人の悪口を言いだす。そしてトイレから戻って来たら何食わぬ顔でまた話し始める。それを延々繰り返す。居ない人間の悪口を言いながらもグループでいることをやめない。当時の私はそれがストレスで、

「悪口を言い合ってまで一緒にいるのって疲れないのか不思議で仕方がない。私は疲れる」

と言葉に漏らしたことがあった。他の人間から後から聞いた話では私のその一言が教室から追い出す理由となったらしい。触れちゃいけない部分に触れてしまったんだな、と今ではわかる。しかし教室から追い出され、話し合うことも拒否されるほどの事だっただろうか?と思うと違う気がする。話し合いの場ではっきりとお前がそう言ったんだろ!と面と向かって言える事ではないか?私と向き合うのが怖いってそれ後ろめたい感情があるからでは?と思う。

 

以上が前回の記事の補足である。私に非があるとしたら正直ここまでしか書けない。何故ならこれ以上思いつかないから。

 

ちなみに、メールの件は何故か教師が動き、先輩と私で一対一で話し合いの場を設けられた。メールの和睦をさせるために設けたのだが、一番最悪な方法だったと今でも思う。心にも思っていない謝罪を受け、教師が目の前にいる以上私は許さざるを得ない。たった5分で、人格否定までされ脅迫まで受けたメールの問題は片付けられてしまった。その後メールは止まったが、いたずら電話は鳴り止まなかった。いたずら電話に関してはもう、教師に相談する選択肢を選ばずただ聞き流すことを選んだ。誰も助けてはくれない。学んだのはそれだけだ。

脅迫の内容は「男子にお前を犯させるぞ」というものや、「男子がお前を殴りに行くぞ」という力では到底勝てない事ばかりだった。その頃からだと思う。私の男性不信が始まったのは。性嫌悪や、男性不信のきっかけは間違いなくこの言葉だろう。「死ね」なんて当たり前で、「学校のゴミだ」「二度と家から出るな」「気持ち悪い」「クズ」……並べ出したらキリがない。それも5分の心無い謝罪で終わり。世の中ってとってもチョロいですね。

 

卒業したこの件に関わった先輩たちは、卒業後校舎に入ることを許されなくなった。職員会議でもそれなりに大きな議題として扱われたのだろう。けれど違う、何もかも違う。私が求めたのは、彼らが卒業する前に動いて欲しかったのだ。きちんとまだこの学校の生徒であるうちに適切に裁いて欲しかったのだ。けれど、いつだって教師は後手に回る。

 

いつの日だったかある教師が私に言った言葉がある。

「お前は強いな。1人なのに強いな」

いいえ、私はもう精一杯です。本当は泣きたかった。本当は暴れたかった。本当は胸ぐら掴んで殴りかかりたかった。全部全部、ことをこれ以上荒だててはいけないという気持ちの中に押し殺したのです。本当に強い人間だったなら、良かったのにと今は強く思います。私は強くありませんでした。私はあの日々に壊されてしまった、ただの弱い人間でしたよ、先生。