冬は私を殺そうとする

「生きづらさ」を抱えるきっかけとなった季節が巡ってきた。10年以上経ったのに今でも鮮明にフラッシュバックする。

土曜日だった。携帯電話にメールが届いて確認しようとしたら知らないアドレスのようだった。イタズラかな?と思って開いたら、暴言、罵倒の言葉が並んでいた。きちんと私宛に。それからわざわざその為にアドレスを変えたであろうメールアドレスからメールが何通も届いた。どれもこれも罵倒と暴言、時に脅迫の嵐。何が起こっているのかわからなかった。ただ一つわかったことは、これは同窓生ではなく先輩であること。文面ですぐにわかってしまった。(そうだ、近所に他のクラスの担任がいる。相談をしに行こう)置かれている状況にしては意外と冷静に相談しに行ったように思う。教師は届いたメールに目を通し、「わかった、とりあえず反応はするな」とだけ答えた覚えがある。なので日曜日の記憶はない。

土日が明け、普通に登校した。そして教室に入った瞬間、明らかに普段と違う様子であることを察した。教室に入った瞬間の空気、声をかけた瞬間に散らばって行ったいつも共にいたはずの友人たち、まるで存在していないかのような教室内での私。誰1人話しかけてこない。誰1人目も合わせない。

三限までは耐えた記憶がある。けれどもう居る意味がわからなかった。此処に残ったところで、この教室に私の存在はない。それはあまりにも明らかで、それならば帰ろうと思った。いじめは初めてではなかったから帰る選択肢を選ぶことも躊躇いはしなかった。小学校で終わったと思った地獄が、また始まってしまっただけのこと。またか、というのが本音だった。

10分休憩の間に帰ろうとしていた私を見つけた他のクラスの女の子が、コソコソと私に声を掛けてくれた。「何があったの?よくわからないけどうちのクラスで貴女の悪口を大声で言ってる!」ああ、今度はクラスだけでなく学年全体に飛び火しているのかと知った。先輩、同学年と並んだ規模は流石に初めてだな、とぼんやり思いながら雪道の中帰った。

家に帰ってまずしたことは、夜に片っ端から私を敵視しているらしい同窓生一人一人に電話をかけて何が起きているのか話を聞き出すこと。半分以上が「貴女に関わると困るから」と電話を一方的に切った。それでも中には「先輩が動いている以上逆らえないんだ」「そもそも貴女が悪いと聞いている」と情報を出してくれる人もいた。誰1人味方になることは無かったけれど。

 

正直、そこからの記憶は途切れ途切れだ。気付いたら私は使われていない教室をあてがわれて、この部屋に登校しろと言われた。教室は辛いだろうという配慮をしたつもりなのだろう。しかし私にしてみたら何故何も悪くない私がこんな使われていない部屋に押し込まれて隠れるように生きなければならないのかがわからなかった。その教室にいても教師も誰もこない。来たとしても給食を運んでくる時だけ。何かプリントが配られるわけでもない。独房のようだと思った。旧校舎の一番生徒が利用しない階にある使われていない教室。

一度せめてクラスの人間と話し合いの場を作らせてくれと懇願したことがある。何故こういうことになったのか本人達の口から直接聞きたかった。教師は「一応向こうの意思も聞いてみる」と乗り気でなさそうな返事をしながら動いたが、結局「向こうがお前に会うのが怖いというからお前には会わせられない」と断られた。違う、本当は怖いのは私だ。多勢に無勢なのは私だ。どんなに自分が傷つこうと何を言われようとそれでも聞き出したかったのに、何一つ叶わなかった。

事が起きたのはちょうど修学旅行のある学期で、「お前は先生達と行動したらいいよな」と言われた。その時には最早私はどこのクラスにも属していないかのような扱われ方だった。クラスに戻してもらえる気配もない。話し合いをさせてくれる気配もない。ただただ時間が経過していくばかりで、私は腫れ物のような存在であった。「いえ、いいです。私は参加しません」その日を境に私はあてがわれた教室に通う回数が減った。学校に行かなくなっても学校側から電話が来ることも特に無かった。

 

そうこうして問題に関わった先輩達は華やかに卒業し、自らが最高学年になった春のクラス替えはあからさまな配慮のなされた生徒の配置だった。私の置かれたクラスはあまりにもわかりやすく問題の少ない生徒で構成されていた。それが教師のやれる精一杯だとでもいうのかと笑ってしまったことをよく覚えている。晴れて独房から解放された私は新たな教室にきちんと通った。けれど、ひと学期教室に来ていない人間が教室に戻って来たというのは大きな衝撃を与えたらしく、人が避けて道ができるというのをリアルに体験した。

イジメに加担していた人間達は醜かった。「心配してたんだよー!」「やっと来たんだね!」と耳に刺さるかのような甲高い声で私に声をかけてきた。私は知っているよ、貴女達がどれだけの事をしていたか。私が援助交際をしているという噂を学年にばら撒き、当時流行っていたアイプチで元々二重の線がうっすら入っていた私は長く使わずとも二重になってしまったのだけど、元々のこいつは不細工だと小学生の頃の写真を男子の中に流したことも知っているよ。「あいつは今頃引きこもって豚みたいになっているんだろう」と私の悪口を言い合う事で結束力を高めあっていた事を私は知っているんだよ。我が家にイタズラ電話をかけてきていた先輩にくっついてその場で笑っていたのも知っているよ。私だけでなく私の家族のことまでもこき下ろして馬鹿にしていたのも知っているよ。何も耳に入っていないと思っていたかな。

学校に行くためには剃刀が手放せなくなった。教室にいるとあまりにも意識が飛びかけてしまうから、トイレにこもって腕を切って頭を覚醒させた。時折加減を間違えてブラウスを真っ赤に染めてしまって保健室のおばさんに怒られ、ブラウスを洗ってもらってしまったりした。教師は最早何一つ信頼できない存在でしか無かった。何を言われてももう説得力が無かった。あなた達は私を一度も守ってくれませんでしたね。ただ嵐が過ぎるのを祈って待っただけで、独房に閉じ込めた私の様子など御構い無しでしたね。

 

あの時もしも1人でも私の言うことを真剣に聞いて、私の意思を尊重しようと動いてくれる大人がいたら、私はここまで心を閉じなかった。例え私の願いが叶わぬ形でも、必死に動いてくれている姿が見れていたなら、それでよかった。たった1人でもよかったんだ。雪が嫌いなのは、1人独房から外を眺めていた日々を思い出すからだ。誰も訪ねてこない、私が居ようが居まいがどうでもいいようなあの部屋でただぼんやりと降り積もる雪を眺めていたあの日々。壊れた備品や使われなくなった教師のデスクで溢れた独房。あの部屋は使えないものを詰め込むための部屋みたいだったよ。私はそんなに救う価値がありませんでしたか。私は確かに気の強い生徒でしたけれど、こいつなら放っておいても壊れないと思ったのですか。

 

あれから10年以上経つ。私は今でも冬が嫌いで冬が怖い。自傷癖も完全には治っていない。人間不信も、自分の顔に対する劣等感も、体型に対する恐怖も、人との距離の取り方も、何一つ治っていない。精神科に通い始めて10年が経った今、治療の終わりは見えない。

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