私の命を繋いで来た人達

新興宗教に飲み込まれていった母と父の話を書こう書こうと思うが未だ書けないので、思いっきり方向転換をしようと思う。
私には兄が2人いる。その2人について書こう。

私は末っ子長女として生まれ育った。周りにそれを言うと「さぞ可愛がられたでしょう?」と言われるのだが、流血レベルの喧嘩をし続けていたことしか記憶にない。
兄弟喧嘩に性別は関係ない。強いものが勝つ。知恵のあるものが勝つ。なので私はいつも負けた。負けず嫌いはその頃完成された。

長兄とは8つ歳が離れているので喧嘩はあまりしなかった。その代わり共に遊んだ記憶もあまりない。それでも、長兄が高校生になり我が家が溜まり場になった頃、ランドセルを背負っているような年頃の私が部屋に遊びにいくことを口では叱りながら出て行かせない優しさのある兄ではあった。
次兄とは6つ離れているが比較的喧嘩をした。次兄は私を泣かせる天才だった。私の負けず嫌いのスイッチを入れるのが上手く、ゲームを共にしてはぶっちぎって勝って私の前で笑うような人だった。流血レベルの喧嘩をしたのも次兄だが、共によく遊んだのも次兄だ。

我が家は狂っているが、変なバランスが取れているのはこの2人のおかげといってもいい。
親2人は新興宗教にずぶりとはまって生きている。とても幸せそうだ。
それを、「まあそれも一つの生き方だし」と否定せずに育つことを教えてくれたのは長兄で、気に入らなければ拒んでもいいのだという姿勢を教えてくれたのは次兄だ。
私達は歪な環境下で育ってきたことがきっかけなのか、それともそれだけは親の育て方が良かったのか、兄弟仲だけは異常にいい。
一緒に飲みにいくこともあればボーリングにも行く。遠くのラーメン屋までドライブがてら行くこともあれば3人で夜に誰かの部屋に集まって語らうこともある。
それぞれの誕生日はケーキを食べられる日という認識として誰かしらが張り切ってケーキを買ってくる。祝う気は更々無い。ただ、それぞれケーキが食べたいだけなのだ。
そんなこんなだからこそ、私が生き延びている部分も大きい。
精神疾患を患ったもういい加減いい歳の働けない妹に対して、彼らは何も言わない。調子が悪そうな時はそっとしておいてくれる。
その代わり、必ず兄弟で出かける時は声をかけてくれる距離感で私を捨てずに見守ってくれている。
そして、精神疾患持ちの妹ではなく、ただの妹として私に接してくれる。
両親は別の世界に旅立ったので、もう仕方がないが、私には兄2人がちゃんといる。そう思って生きている。

先日、いとこの家で幼少期のビデオを観た。
まだ私が4歳くらいで、当時ストレスから生じていた吃音が健在だった。
どの場面にもどちらかの兄がいた。そして、とても丁寧に年の離れた妹である私といとこの相手をしていた。
私の記憶の中には、喧嘩をしてこいつ本当に嫌いだと思った思い出しかないのに、そこには沢山優しく遊んでもらっている姿があった。
「可愛がられてなんて育ってませんよ」なんて大嘘をついて生きていたことを心からは恥じた。

私がいじめられ続けた時も「お前は悪くない」「いざとなったら俺が出て行く」と言って私が止めるほど怒ったのは長兄で、私がいよいよ辛いと涙を流した時に黙って話を聞いてくれたのは次兄だった。
我が家の財政状況が悪化してどうしようもない時に私の免許代を全額払ってくれたのは長兄で、私が何もかも出来なくなった時に唐突に東京までの日帰りドライブを敢行したのは次兄だった。
私は親を諦めた。けれど、この家でまだ呼吸をできるのは兄弟が力強く寄り添ってくれているからだ。
私は2人に何を返せているのだろうと時折考える。末っ子の私はただ甘えているばかりで何が出来ているのだろう。
だからこそ思う。この2人の前ではいつだって笑っていたい。いくら辛くとも笑ってくだらない冗談を言い合える妹であろうと。

私はきっと幾つになっても兄2人に勝てない。
頭も上がらない。私をこの家で生かし続けてくれている2人には一生感謝し続ける。
この家を出る日が来たとしてもだ。
そして一生妹として誇りに思う。私にはとてもとても素敵な兄が2人もいるということを。
私は貴方達の妹としてこの家に生まれたことだけは幸せに思います。
2人にこんなことを直接は言えないから、ここに書き残す。

生きがいを失うと人はどうなるか

人は先にある生きがいを失うとどうなるか?
この文面を目にして、あー、と笑った。
今なら書き残せる気がするので個人的な記録としてここを使う。

私はまず、異常に冷静になった。恐ろしいまでに冷静になった。
周囲への対処を一番気にしていたかもしれない。
そして何より何が起きているのかの把握に冷静に向き合った。ここで逃げたら終わる、何が終わるのかわからないけれどひたすらそう思っていた。
私には布一枚も身体に身につけずに、割れたガラスの散らばった床に横たわって何度も寝返りを打つような行為だった。
しかしその痛みすらもその時には気付かなかった。
そして不思議なことに私はとても笑っていた。誰の前でもその話を笑って平気に出来た。これは完全に防衛本能が働いていたから。
その為に一部の友人が離れていった。笑って話すことじゃないと怒っていた。ならばあの時私は泣けば良かったのか?泣いて何になる?
自分の力ではどうにもならないことが起きた時にどうすべきか、冷静に現状を把握すること。
これはイジメられ続けた経験が役立った。
笑い続けたのは、誰にも迷惑をかけたくなかったからだ。既に迷惑をかけざるをえない人達がいたから。これ以上延焼させたくなかった。
今頑張れば何かが変わるかもしれない、そんな期待もあったのだろう。

結果的に言うと、私は記憶を失った。そこから数ヶ月の記憶が殆どない。所々、点々と思い出せるくらいで、何をして生きていたのかよくわからない。
そして、食事をやめた。食べられないのと、食べる意味がわからないのと二種類あった。体重は笑えるくらいみるみる落ちた。
親に「もう殺してくれ」と懇願した。何度も何度も頭を下げて許してくれ、もう無理だと懇願した。
歩行が難しかったことを思い出す。バランスが取れないのだ。フラフラと気付くと斜めに歩いてしまう。
それでも周囲から変な気を使われることだけは嫌で約束は何一つ断らなかった気がする。その時はとにかくギアを3段階くらい上げて挑んだ。
そして何よりも大きいのは「期待」をやめた。
それは人に対するものもそうだし、未来へのものもそうだ。そもそも、期待をするからこうなる、と思った。本当は意味のない期待をしているほうが楽だ。けれどそれはもう私の中では恐怖以外の何物でもない。
「普通」というレールからその時に降りた。もう、いい。いつ終わってもいいな、今冷静にそう思う。自棄とかじゃなく、とても冷静に思う。私は私を上手く乗りこなせなかった。結果、私は私の不幸を招いた。それだけの事なのだ。だから不幸と言うのも馬鹿らしいのかもしれない。当然の結果に近い。

半年が経って私は当たり前のように笑う。
そして、当たり前のように食べる。体重は減った半分まで増やした。無理やり食べた時期もある。家族に入院の相談をされていることを知った時から必死になった。人に迷惑をかけたくない、それだけだった。もう沢山かけてしまったから。あと半分がなかなか戻らない。
当たり前のように友人と会う。
当たり前のように言葉を書き残す。
けれど、大きな何かを失った。確実に私の中の大きな何かが欠如した。それが何かはまだ言語化できない。けれど、本来あるべきものなのだと思う。
体の中にすごく大きな穴が空いている。とても強い風が吹いている。けれどそれを誰に見せることも出来ない。自業自得だから。
「身の丈に合わないとはこういうことなんだと知った」、とあの日の日記に書いてあった。
私は体重以外まだ何も取り戻せずにいる。

物事には誰しも限度がある。

アカウントを引っ越した。
色んな人にお手数をおかけして申し訳ないのだが、もうあのアカウントを使うことすら嫌になってしまった。
お願いだから放っておいてほしいと言っても伝わらない人種に対してできることは自衛しかない。

私は急激に距離を詰められることが苦手だ。
だから何度も何度も説明をした。
会話でも伝えたはずだ。
何のために朝まで話したのだろう。
それでも対応が何一つ変わらずに、自分の中にある正義をひたすら盲信して押し付けられた。
違うと言われてしまうかも知れないけれど、私にはそうとしか感じられなかった。

たくさんの努力を重ねて今を掴み取ったのだろう。それを理解はできなくても想像することはできる。
とても凄いことだと思う。素直に尊敬もする。
そのやり方で今までやってきたのだろう。
けれど、そのやり方を暴力としか思えない人間がいることを理解しろとは言わないから受け止めてほしい。
誰しもが手を伸ばされたら掴めると思っているのだとしたら、残念だけれど住む世界が違う。
それに掴む手を選ぶ権利だってある。

私との対話を求めていることはわかっていた。
私もそれを拒否しなかった。けれど最初にお願いをしたはずだ。見守ってくれと。
私が何を一番許していないかといえば、話したいことがあるならば第三者を巻き込んでライングループを作らないで欲しかったという点だ。
私は逃げも隠れもしない。一対一できちんと言葉を投げかけてくれればその時出来る限りの対応をした。
私は第三者に介入されることがとても苦手だ。
それで散々な目にあってきたし、第三者が介入することでその人の主観が入り意図が変化してしまうことを散々学んできたからだ。
私がどんなに声をかけても逃げ続けていたならまだわかる。しかし今まで私は一度も逃げなかったはずだ。
他者を巻き込んでまでコミュニケーションを図ろうとするのはマナー違反だ。
私達は子供じゃない。それこそあなたが何度も繰り返してきた言葉で言う大人だ。

一度発した言葉は二度と消せないということを知っていてほしい。
そして発言は必ず意図せずとも人から人を介して広まる。
インターネットの世界は発言が残る。何を発していたか調べることも可能だ。
「人の好意を受け取る努力をしないことが甘え」なのだとしたら、「人の好意を上手く受け取れない人間の心理を想像する努力をしないことも甘え」だと返そう。

私は極度の人間不信で人間嫌いを拗らせた人間だが、対話を拒否しているわけではない。
話していて楽しいことも山ほどある。
そうじゃなければウェブの世界にいない。
私に出来ないことをしている人を尊敬するし、温かい言葉を貰えば嬉しい。
くだらないやりとりだって楽しい。
大切にしたいと思う関係性だってある。
私はそれを大切にしながら、楽しい時間を過ごしていたいだけだ。

読めるかどうかは知らないが書き残すことにしたのは私が提示できる最後の誠意だ。
巻き込んでしまった人に対する事情説明の意味も込めている。
巻き込んでしまった方々とお手数をかけてしまうことになった方々への謝罪を込めて。

人の口に戸は立てられない

外面だけはいい生き方をしてきた。
その外面は弾かれて弾かれて弾かれて覚えた。
その代わり常にそこに壁が一枚ある。
笑っているけれど、笑っていない。
好きはある。それなりにある。人に対してもそれはまだちゃんとある。一応。
これだけ弾かれて弾かれて弾かれてボロクソになっても、まだ好きは残っている。
それはとても小さなサークルでしかないかもしれないけれど。
サークルでもない最早ポツポツとした局地的なものかもしれない。
しかし、その好きが何を意味しているかあまりわかっていない。何が好きなんだろう?
でも、確かな好きはある。本能的な部分がまだ残っているのだと思う。

周りがとても眩しい。
直視しようにも眩しすぎてできない。
それをその人たちは暗いという。
それが暗いのだとしたら、私の立っている場所はどうなってしまうのだろう。
ここは湿度が高く、前後左右何も見えない。
音も聞こえてこない。
もしかしたら自分で目隠しを付けたのかもしれない。
耳栓もつけたのかもしれない。
もう見たくも聞きたくもないと。
とにかく眩しい。
だから、一歩、また一歩と下がる。
私の目ではその光は捉えられない。
まだ、この目は耐えられるほど力を持っていない。
でもきっとみんな自分の立ち位置をそう思っているんだろう。
だから、暗い自慢になりそうな話は片っ端から避けていきたい。
それすらももう疲れた。

ねぇそれって例えばどれくらい痛いのって歌ったのはノベンバ。
痛さで言えばもうよくわからない。
痛覚を自覚するエネルギーを失った。枯渇している。
ただ、ぼんやりと思う。ここはどこだろう。
ここで何をしているんだろう。
ここまできて、何があったというのだろう。

昨日開いた扉が良かったかどうかはまだわかりかねている。
それでも開いてしまったものは開いてしまったのだから仕方ない。どうしようもない。
ただ、1人だったら耐えられなかっただろう。
隣にいた彼女にありがとう。

あの日夢見た景色はとても美しかったよ

私の生殖機能は人よりも乏しい。
十代の時に月のものがおかしくなって婦人科を尋ねたら呆気なくそれは宣告された。
「君は子供が欲しかったら治療が必要だね」
十代なりにその言葉の重みは理解できた。
その時に永遠を誓い合う結婚というものに対する希望を半分失った。


「治療をすればできるんでしょう?」
「どうしてちゃんと婦人科に通わないの?」
「子供は可愛いよ、諦めないで」
どれもこれも言われた。大抵お腹が膨らんできた妊婦の友人で、何一つそこに悪気はない。
わかっているから何も言えなかった。
子供は可愛い、それはとても素晴らしいことであんなにも無垢で価値観の形成も他者から吸収することで覚えていく生き物はある意味怖くて、けれど生命というものはとても神秘的で。
考えたことがないわけじゃない。
寧ろ、セックスをして当たり前に出来る体よりも考えたと思う。
考えに考えた末に残ったものは両親への罪悪感と、女性としての未熟さの情けなさだった。
そこにプラスして私にあるのは精神的な病で、どうにもこうにもそれは揺るがなくて。
精神科を尋ねた最初に言われた言葉に対する自分の気持ちをまだ覚えている。

「安心して。子供は産めるよ」
(先生、私の体は治療をしないと子供ができないので大丈夫なんです)

周りは当たり前に治療を提示する。
そういった人達は誰もその意味を深く考えていないのだろう。
「治療」という本来必要のない筈の段階を踏まないと子を授かれないという意味を。
それがどれだけ女性として生まれたことの意味をことごとく削り取っていくのかを。
別に女性として生まれたからには子を授かれとは思っていない。それは個々の自由だ。
けれど、それが当たり前に出来る体ではないのだと言われることはやはり後ろめたい。
月のものは当たり前のようにくるけれど、そこに排卵という機能が伴っていない出血を繰り返す虚しさは伝わるものではないのだ。
毎月すり減る。心の何処かが着実に削れていく。


今でこそあえて子無しを選択する夫婦も増えてきたし、不妊治療も珍しくなくなった。
それでもやはり、どうしても、圧倒的に当たり前に授かれる人間に対しての壁は大きい。
そして、「子供なんていなくても大丈夫」という言葉を簡単に口にする男性を信用できない。
何故なら男性は本能的に種を残していこうとする生き物だから。
何より、「子供が欲しい」と一度は言われて別れを経験しているから。
そりゃあ、そうだよね、と頷くことしかできない。
そして不妊治療はお金がかかる。お金が無ければ何も始まらない。
私の体の未熟さで本来かからない筈のお金を掛けさせる申し訳なさも大きい。
健康な体というのは、尊いのだ。とても。とても。


まだ自分の体の未熟さを知らなかった頃に夢を見ていた。
好きな人との間に出来る子供はとても愛しくてそれはなんて尊いことなのだろうと。
あの日夢見た景色はとても美しかったよ。

上質な容れ物を持て余している

幼少期、転んで足を擦り剥けば驚いて泣いた。
傷口を洗われて、消毒液を塗られることが痛くて大嫌いだった。
けれどたまに大怪我をして巻かれた包帯は何故だかドキドキしてほんの少し嬉しかった。
何故幼い子供というのは包帯だとか大袈裟なものが好きなのだろう。

メンタルを壊してから、怪我をしてもなんとも思わなくなった。
それは年齢もそれなりになったからというのもあるだろう。けれど、「あちゃー」とも思わなくなった。
ただ、器に傷がついたというような漠然とした感覚でしかなくなった。
「きちんとしないと痕が残るよ!」と言われても、痕が残るから何なのだろう?と思うようになった。
痕が残ると何なのですか。綺麗に治らないということなのでしょう。しかし、これは器なので残ろうがどうでも宜しいのです。

それから、脳と体が上手く直結していない。
脳が働いて体が動くという原理はわかる。そしてそうやって私は考えるまでもなくこの文字も打っている。
けれど、体はどこまでいっても器で、本体は頭部の脳でしかないと思う。
危機感というものに対してひどく鈍感になった気がする。
事故にあった時もそうだった。漠然としていて、人ごとで、人に迷惑をかけることはいけないことだから「すみません」と謝ることだけをしていた気がする。
「怪我はないか」と聞かれたけど、いえ、体はそこまで重要ではないのでと頭では思いながら口には出さなかった。
そんなのただの頭のおかしい奴じゃないかという自覚はあるから。

人の体は本来美しい。
人の体ほど美しい曲線美はこの世にないと思う。
そういった愛しさは知っている。
私は人間の体のラインがとても好きだし、人の体というのはなんて無駄がないのだろうと感心する。
けれど、自分の体に関しては容れ物のようにしか思えない。思念の容れ物。
傷が残ろうが、傷つけようが、取り敢えずこれは私の体というよりは私を梱包している容れ物だ。

この認知の歪みを私は治さなければならないのだなぁと思った昨日の病院帰りの話。

帰属すること

生きていると何かしら、どこかしらに「帰属」することが求められるというか無言の圧力というか見えない抵抗というかがあって。
いい歳まで生きている割にそれに上手く順応できずにいる。

性格上、どこに行っても何となくその場に馴染めてしまう。それが例え所謂リア充タイプだろうとオタクタイプだろうと。何となくその場にいることは出来る。
そして、それをその場の人たちは誰も怪しまないし、問い詰めない。
「君にはこういう属性もあるんだね」という風に受け取られてきたように思う。
しかし実際にそうかと言えば常に何と無く透明な壁が一枚あって、「ここは会話に困らないしここは楽しいけれど、何かしら浮ついている気がして」しまって、個人的には集中できていない。
それは幾つになってもどこにいってもそうで、この歳になっても「ここだ」という居場所が掴めずにいる。

居場所は自ら作るもので、自らを提示していかなければそれらしい密着性は得られないのだなぁとつくづく思う。
私がどこに行っても上手く馴染めた気がせずに何処か世界を遠くに見てしまうのは残念ながら長年に渡って虐めを経験してしまったが故なのだろうな、と思う。
馴染んでしまってから弾かれるのは痛いから、苦しいから。だから壁一枚隔てて世界を見る癖をいつのまにかつけてしまったのだろう。
ここを一つの居場所としよう、とするのは勇気のいることだ。
それは例えありふれた友人関係でも言えることだと思う。
居場所は維持し続けようとする真摯さと勇気が必要だ。一人では押し付けになってしまう。
そして私は居場所なんてそんなに必要ないよと言えるほど孤独に強くないし、心底寂しがりやであることがどうしようもないまでに事実だ。

そもそも、生きることは嫌いではないのだと思う。変な前向きさを持っているから。
人に対して変な希望や期待や喜びを抱いてしまっているから、生きること自体は本来嫌いではないのだと思う。
勿論、過去に意識を奪われたり持病故の焦燥感や希死念慮に囚われているときは殺してくれと願ってしまうけれど。
では何が嫌なのかと言えば、「帰属」しようとする自分が嫌で、そうでありながら「帰属できない」自分が嫌なのだ。
私の口から発せられる言葉のなんて薄っぺらいことだろうと自分に失望するし、他人の言葉の力強さに驚かされてもその言葉をきちんと受け取れずにいる臆病さが心底嫌いだ。
クラスタとか、界隈とか、そういった言葉に何となく敏感になってしまうのはいつだってそこに自分がいる気がしないからだ。

新年を迎えて、新たな界隈に足を踏み入れた私はそんなことを最近ひたすらぐるぐると考え続けている。
人は思っているよりも素直で受け入れてくれて温かい。そういうことに触れてしまったから、ほんの少しだけ戸惑っている。
こればかりは信じたいと願いながら、何処でもない何処かへとたった一人でいる方が楽なんだよなんて泣きっ面に近い顔で笑ってばかりいる。